高校新聞仲間の葬儀で2011/12/20 04:57

 17日、高校新聞の仲間I君の葬儀があって、八王子の長沼まで行った。 寒 くなるというので厚着で出かけたのだが、それほどでもなく、よく晴れて、多 摩の横山の紅葉が美しかった。 I君は日吉の高校の新聞会で副編集長をした。  叔父さんが志木高のT先生で、私が一年生の時の担任という縁もあった。 慶 應を出て、京王百貨店に入った。 同期の105年三田会で卒業25周年記念事 業の実行委員会を作る時に、志木高から誰かということで、私を引っ張り出し たのは、I君だった。 学生時代は付き合いのなかった、そのメンバーとの、 その後の豊かな交流を考えると、I君の恩は計り知れない。 彼自身は、ほと んど出て来なくなったのだが…。 年賀状のやりとりだけは、ずっと続いてい た。

 9年前の61歳の時、定年後に行った子会社で勤務中に、脳梗塞で倒れ、右半 身の麻痺と言語障害になった。 以来、8年間のご家族のご苦労は、いかばか りであったろうか。 今年の2月には、自分で食べることも出来なくなったと いう。 奥様は、前日の通夜で倒れ、救急車で運ばれたというが、葬儀には出 席、座ったまま焼香をされていた。 ご長女が立派な挨拶をされた。 亡くな ってほっとした一面もあると、正直な気持をもらして、声を詰まらせる。 I 君は三人兄弟の長男で、93歳の父上はご健在の由、長男としての義務を果たせ ず本人も心苦しく、叔父様たちにはいろいろな面で世話になった、今後は祖父 のこともしていかなければと思っている、と。 I君は、娘さんの進学や就職 に当って、よい友達をつくれ、友達を大切にしろと、いつも言い聞かせていた という。 今日も、こんなに沢山の、父のお友達が参列してくれた、と。

 I君が慶應普通部出身とは知っていたが、幼稚舎K組の生花で、幼稚舎だっ たことを知った。 京王百貨店で一緒だった志木の同期のT君が参列していた おかげで、中学以来の友人からいつも噂を聞いていた彼の親友で、I君と京王百貨店同期のKさん(初対面)や、I君の叔父さんで今は亡き志木のT先生の奥 様にも、ご挨拶することが出来た。 奥様に、先生は80歳で亡くなられたが、 T君と二人、男も85歳までは生きなきゃあだめよ、と言われたのだった。