「蛇窪信号場」と「品鶴線」2012/12/25 06:36

 本日の「等々力短信」第1042号「巳年、白蛇祀る神社」の郵送分を、三連 休が入るので、早めに発送したら、早速加藤隆康さんが面白いメールをくれた。

 「品川区の上神明天祖神社、蛇窪大明神、古来より「蛇窪の明神さま」(江戸 時代の地名は蛇窪村)として親しまれ」、と書いた。 その「蛇窪」についての コメントである。 「蛇窪」は、鉄道ファンの間では「蛇窪信号場」として知 られているというのだ。 湘南新宿ラインが大崎から南下する際、大崎を出て りんかい線方面へ直行し、その後右折して品鶴線(横須賀線と上層部に新幹線) に合流する。 この合流地点を「蛇窪信号場」というのだそうだ。 彼も変わ った名前なので、蛇窪は「ははん地名だな」と想像していたという。

 「信号場」という言葉を知らなかったので、『広辞苑』を見る。 「列車の行 違い・待合せなどをするために待避線・信号機などを設けた場所。JRでは停車 場の一種とする。」

 その蛇窪信号場、地図を見ると、ちょうど東急大井町線の下神明駅のすぐ北 の地点である。 品鶴線(ひんかくせん)は品川-鶴見の品鶴、私が子供の頃 から馴染みのある貨物線である。 自転車でちょっと遠出というと、中延から 第二京浜国道を馬込橋まで行って品鶴線を見るか、松原橋のロータリーを下り て環七(当時そんな名はなかったか、知らなかった)の土手に登って品鶴線を 見たりした。 池上線に乗ると、御嶽山駅の所で、品鶴線と立体交差する。 日 吉に通うようになったら、遠くに品鶴線の走るのが見えた。

 「ウイキペディア」の「品鶴線」には、詳しいことが書いてあり、大崎付近 の概略図もある。 品鶴線の貨物線としての開通は1929(昭和4)年8月21 日。 5年後に開設された蛇窪信号場には、現在「旧」の字がかぶせてある。  目黒川信号場とともに、1965(昭和40)年7月に廃止されて、大崎駅に併合 されたという。   

東海道新幹線(1964(昭和39)年開業)の建設時に、土地取得の困難から、 品鶴線のルートを利用して、真上に高架をかけたり、隣接地を使ったりした。  1980(昭和55)年には旅客営業を開始、東海道線との別線化で横須賀線が、 2001(平成13)年には湘南新宿ラインが走るようになったのである。

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