東京国立近代美術館の「おかげ」2012/12/23 07:29

 11月30日の朝日新聞夕刊に、10面と11面、二面見開きの全面広告が出た。 東京国立近代美術館[60年間の展覧会]のデザインされた一覧表である。 1952 (昭和27)年12月1日京橋(今のフィルムセンターの所)で「日本近代美術 展:近代絵画の回顧と展望」で開館している。 私が鮮明に記憶しているのは、 1963(昭和38)年4月に京橋で開かれた「ビュッフエ展:その芸術の全貌」で ある。 神経質な鋭い線で描かれた静物や人物、冷たい色の面で構成された、 ビュッフェの絵の孤独な雰囲気が、まもなく学校を卒業するという頃の私の気 分にマッチするものがあって、強く惹かれたことを覚えている。 福澤諭吉協 会の旅行で三島・沼津クレマチスの丘の「ビュフェ美術館」へ行った時、学芸 員から岡野喜一郎さんはあの展覧会を見てコレクションの決意をしたのだと聞 いた。

 表を見ると、竹橋新館の開館は1969(昭和44)年6月のようだ。 その後 に感激したのは、1973(昭和48)年2月の「平櫛田中展」であった。 「五 浦釣人」「鏡獅子」「禾山笑(かざんしょう)」「ラン(グ)ドン・ウォーナー像」な ど。 この時101歳でまだ現役、「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百 から百から、わしもこれからこれから」と、作品にするための原木を買い入れ ていた。 人も作品も好きになる。 1979(昭和54)年に107歳で亡くなった。

 今回、「所蔵作品展 寿ぎの「うつわ」~工芸館の漆工コレクションから~」 が開かれている工芸館(北の丸公園、昔の近衛師団司令部の建物)でも、忘れ ることのできない展覧会を見ている。 1983(昭和58)年3月の「黒田辰秋 展―木工芸の匠」、1985(昭和60)年5月「現代染織の美展」で見た志村ふく み作品、そして1995(平成7)年3月の「板谷波山展―珠玉の陶芸」である。

 2000年代に入ってからは、本館であった2003(平成15)年12月の「あか り:イサム・ノグチが作った光の彫刻」展では、イサム・ノグチがデザインし た竹ひごと和紙を使った照明器具「あかり:AKARI」の数々を見て、改め て感心した。 岐阜提灯との出合いで生まれたという光は、柔らかく、暖かい。  日本的でありながら、スマートで、デザイン的にも優れ、一種の軽やかなバタ 臭さもある。

 最近では、2010(平成22)年4月の「生誕120年 小野竹喬展」がよかった。  清々しくて、美しい、気持のよい展覧会だった。 87歳の竹喬が完成させた代 表作「奥の細道句抄絵」では、絵と俳句の作り方の近接を実感した。 自然に 向き合い、時間をかけて、徹底的に観察する。 そこで心に感じ、引き出し(抽 象し)たものを、五七五の文字(ことば)にするか、絵に描くかが違うだけな のだ。

 ざっと思い出しただけでも、東京国立近代美術館の60年からは、さまざま な感動と刺激をもらい、こころを豊かにしてきていたのである。