「貝殻追放」の意味2012/12/27 06:35

 最初から脱線するが、「貝殻追放」を『広辞苑』で引くと、「オストラシズム の訳語(誤訳)」とある。 それで「オストラシズム【ostracism】」を見ると、 「古代ギリシャ(アテナイ)の秘密投票による追放制度。僭主(せんしゅ)な ど追放しようとする者の名を陶片(オストラコン)に記して投票し、それが一 定数に達すると追放された。陶片追放。オストラキスモス。」とある。 ついで に「僭主」は「(2)(tyrannos(ギリシャ))古代ギリシャで、主として貴族・ 平民の抗争を利用し、非合法的手段で政権を占有した独裁者。僭主政は貴族政 と民主政の過渡段階として出現する場合が多い。タイラント。」

 水上瀧太郎の岩波文庫『貝殻追放 抄』の「はしがき」(大正6(1917)年冬) では、「牡蠣殻に文字を記して投票したる習慣より貝殻追放の名は生まれしと か。」とある。 以下、概略このように書く。 今日人はこの単純野蛮な審判を、 自分たちと関係のない遠い時代のおかしな物語として語り伝えるけれど、よく よく考えてみると、現在のわれわれの社会でも、一切の事すべて、貝殻の投票 によって決せられているのではないだろうか。 厚顔無恥な野次馬が、その数 を頼んで、貝殻をなげうつのは、アゼンス(アテナイ)の昔に限らず、いたる ところで行われているけれど、ことに今日の日本において、その甚だしいのを 思わざるを得ない。 そうした多数者の横暴に、あくまで一人の識見で立ち向 かおうという強い意志を、水上瀧太郎は表明したわけだ。

 坂上弘さんは、『貝殻追放 抄』冒頭の「新聞記者を憎むの記」(『三田文学』 大正7(1918)年1月号)が、そうした水上瀧太郎の通俗性と闘う反抗的な精 神の最初の作品で、以後そうした傾向のエッセイが「貝殻追放」の名でくくら れてくる、と話した。

 帰宅して、あらためて「新聞記者を憎むの記」を読んだ。 5年の外遊から 帰朝した神戸港の船に、姉夫婦や親しい人達が迎えに来て、積もる話をしてい るところに、大阪朝日と大阪毎日の新聞記者が割り込んで来た。 取材を断っ たのに、しつこく食い下がるので、少し質問に答えた。 すると、「文学か保険 か」「三田派の青年文士水上瀧太郎氏帰る」という見出しの捏造記事が出て、自 分が廃嫡されるかどうかという問題を自ら語っているのだった。 四男が「廃 嫡」されるはずがなく、当然相続すべき長兄がいるのに…。 それを反論する だけでも、その記事の根拠のないことを証明できる。

 また、脱線。 「廃嫡」を『広辞苑』で引くと、「廃除」の(2)を見ろ、と ある。 「廃除」(2)「〔法〕被相続人に対し虐待や重大な侮辱を加えた推定相 続人について、被相続人の意思に基づき、家庭裁判所の審判によって、相続権 を喪失させること。旧民法では廃嫡。」 旧民法がわからないが、相続は長子相 続だったのだろう。

 だが、「父の業を継いで保険業者になるか友人の尽力によって文学者になるかそ れは帰京の上でなければ分らずまだまだ若い身空ですからね、一向決心がつき ません、ハハハハハ」と語り終わったという、その新聞記事がひとり歩きする。  「廃嫡されても文学を」という線での新聞雑誌の噂話がしきりに続き、水上 瀧太郎、阿部章蔵を見る世間の目は、すべてその先入観念を通すことになって しまった。 幸い衣食に事欠かぬ身の上で、勤め先もあったから、その点は無 事だったが、このような記事によって、人は衣食の道をさえ求めにくくなるこ とも、想像できないことではない。 新聞記者は社会の出来事、事実の報告者 であるという尊い職分を第二にして、最も挑発的な記事の捏造にのみ腐心して いる。 「根も葉もない捏造記事のために、幾多の家庭の平和を害し、幾多の 人の社会生活を不愉快にし、幾多の人の種々の幸福を奪う彼らの行為を世間は 何故(なにゆえ)に許して置くのか。」

 私は、新聞広告に出る週刊誌の見出しとその影響を考え、現在も少しも変わ っていないな、と思った。