巳年、白蛇祀る神社<等々力短信 第1042号 2012.12.25.>2012/12/25 06:34

 来年は巳年である。 何を隠そう、年男、還暦のさらに一回り上になってし まうことになる。 巳年というので、年賀状の図案や、諸々の飾り物に蛇が登 場する。 テレビのニュースでも、動物園が年賀状用に、白蛇と写真を撮るサ ービスをしているのを放映したりする。 家内は蛇が大嫌いで、そういうのを 見る度に「キャア、キャア」言っている。 普段から新聞に蛇の写真が出てい ると、家内が見る前に、切っておかなくてはならない。 それで長年巳年と連 れ添っているのだから、不思議な気もする。

 テレビの情報番組で、白蛇を祀っている神社をやっていた。 品川区の上神 明天祖神社、蛇窪大明神、古来より「蛇窪の明神さま」(江戸時代の地名は蛇窪 村)として親しまれ、弁財天を祀っているという。 神社のいたるところに、 白蛇の飾りがあり、巳年に向けての準備か、白ペンキで塗られている。 白蛇 は弁財天の使者で、清浄な心と優しさを授け、幸運を招く御利益があるそうだ。  荏原七福神の一、弁財天。

 品川区なのに、知らないな、と思って見ていると、「中延駅から5分」とい うではないか。 「中延駅から5分」といえば、私が生まれ育った場所も、そ うである。 中延の「延」と、小山の「山」の、延山小学校に通った。 結婚 後、広尾に越すまで、二十数年間、その地に住んでいた。 灯台下暗し。 イ ンターネットで検索すると、所在地は品川区二葉4-4-42。 元のわが家とは、 大井町線の中延駅を挟んで、反対の方向(馬込・横浜方面)にある。 第二京 浜国道を渡らなければならないのが、知らなかった一つの原因かもしれない。  わが家の氏神様は、荏原町駅横の旗ヶ岡八幡神社だった。

 大井町線に下神明という駅がある。 それに対する上神明で、両方に天祖神 社があるのだそうだ。 上神明天祖神社の隣には、上神明小学校がある。 上 神明小学校と第二京浜国道を挟んだ反対側、つまりわが家の側に源氏前小学校 がある。 私には「源氏前小」の名のほうが馴染みがある。 昭和20(1945) 年5月24日の大空襲で、4歳の私は一家で源氏前小そばの立会川の中に避難、 一夜を過して助かったからである。

「旗ヶ岡」は今、「旗の台」という駅名や地名になっているが、「源氏前小学校」 「旗ヶ岡八幡神社」という名の由来には、こんな歴史がある。 平安時代中期 の長元3(1030)年、源頼信が下総国(今の千葉県)で発生した平忠常の乱を 平定するために、下総に行く途中、この地に宿営し、霊威を感得して、八幡大 神を奉り戦勝を祈願した。 陣地には、源氏の白旗をなびかせて、大いに武威 を誇ったというのである。

「蛇窪信号場」と「品鶴線」2012/12/25 06:36

 本日の「等々力短信」第1042号「巳年、白蛇祀る神社」の郵送分を、三連 休が入るので、早めに発送したら、早速加藤隆康さんが面白いメールをくれた。

 「品川区の上神明天祖神社、蛇窪大明神、古来より「蛇窪の明神さま」(江戸 時代の地名は蛇窪村)として親しまれ」、と書いた。 その「蛇窪」についての コメントである。 「蛇窪」は、鉄道ファンの間では「蛇窪信号場」として知 られているというのだ。 湘南新宿ラインが大崎から南下する際、大崎を出て りんかい線方面へ直行し、その後右折して品鶴線(横須賀線と上層部に新幹線) に合流する。 この合流地点を「蛇窪信号場」というのだそうだ。 彼も変わ った名前なので、蛇窪は「ははん地名だな」と想像していたという。

 「信号場」という言葉を知らなかったので、『広辞苑』を見る。 「列車の行 違い・待合せなどをするために待避線・信号機などを設けた場所。JRでは停車 場の一種とする。」

 その蛇窪信号場、地図を見ると、ちょうど東急大井町線の下神明駅のすぐ北 の地点である。 品鶴線(ひんかくせん)は品川-鶴見の品鶴、私が子供の頃 から馴染みのある貨物線である。 自転車でちょっと遠出というと、中延から 第二京浜国道を馬込橋まで行って品鶴線を見るか、松原橋のロータリーを下り て環七(当時そんな名はなかったか、知らなかった)の土手に登って品鶴線を 見たりした。 池上線に乗ると、御嶽山駅の所で、品鶴線と立体交差する。 日 吉に通うようになったら、遠くに品鶴線の走るのが見えた。

 「ウイキペディア」の「品鶴線」には、詳しいことが書いてあり、大崎付近 の概略図もある。 品鶴線の貨物線としての開通は1929(昭和4)年8月21 日。 5年後に開設された蛇窪信号場には、現在「旧」の字がかぶせてある。  目黒川信号場とともに、1965(昭和40)年7月に廃止されて、大崎駅に併合 されたという。   

東海道新幹線(1964(昭和39)年開業)の建設時に、土地取得の困難から、 品鶴線のルートを利用して、真上に高架をかけたり、隣接地を使ったりした。  1980(昭和55)年には旅客営業を開始、東海道線との別線化で横須賀線が、 2001(平成13)年には湘南新宿ラインが走るようになったのである。