「松本竣介展」・世田谷美術館2012/12/16 06:11

 世田谷美術館の生誕100年「松本竣介展」がおすすめだ(1月14日まで)。  松本竣介ファンなら必見だし、松本竣介を知らない人も、きっとこの画家の素 晴らしさを発見するだろう。 油彩・約120点、素描・約120点、スケッチ帖 や書簡などの資料・約180点。 これほど揃っている松本竣介の作品を見たの は初めてで、知らないものも沢山あり、その全貌を概観することが出来た。 わ ずか36歳で亡くなった松本竣介(1912(明治45)年~1948(昭和23)年) が、その短い生涯の内で、工夫と努力、試行錯誤を重ね、これほど画風に大き な変化をみせていたのは、驚きであった。 私など、その倍になろうとする齢 を重ねて、忸怩たるものがある。 「馬齢」という言葉が頭に浮かんだ。

 展覧会は、松本竣介を、つぎのように分けて構成している。

 I.前期〔1927年~1941年頃〕 1.初期作品 2.都会:黒い線 3.郊外:蒼い面  4.街と人:モンタージュ 5.構図

  II.後期:人物〔1940年頃~1948年〕 1.自画像 2.画家の像 3.女性像 4. 顔習作 5.少年像 6.童画  

 III.後期:風景〔1940年頃~1947年〕 1.市街風景 2.建物 3.街路 4.運河  5.鉄橋付近 6.工場 7.Y市の橋 8.ニコライ堂 9.焼跡 IV.展開期〔1946年 ~1948年〕 1.人物像:褐色に黒 2.新たな造形へ

 見慣れていた「鉄橋付近」(洲之内徹によって五反田駅近くと承知していた)、 「Y市の橋」、「ニコライ堂」などの作品が、綿密なスケッチをもとにして構成 されたもので、同じ主題でいくつものバリエーションのあることがわかった。

 私が知らなかったのは、主にI.前期と、IV.展開期の作品であった。 I.前期 は、黒い輪郭線による骨太な描写に始まり、蒼い面を基調にする幻想的な風景、 街と人の線描によるモンタージュへと進む、独特の色彩と構成による想像的絵 画である。 1936(昭和11)年、松本禎子と結婚して、新宿区中井の急な坂の 上の家に住んだ。 この頃の絵に、多く現れる女性像は禎子だろうか。 「N 駅近く」のN駅は、西武新宿線の中井駅らしい。

 IV.展開期は、その若い晩年、黒く太い粗い筆致のキュビスム風の抽象的な線 が、独特の赤褐色の地色とともに登場する。 しかし、この変化は、端緒で急 逝により終わってしまう。

 松江市に疎開させていた息子の莞さん(1939(昭和14)年生れ)宛の、敗 戦時の手紙が興味深い。 「マケタ マケタ アメリカニマケタ モウ ヘイ タイサンニ ナレナクナッタ」、カンチャン、オトウサマと記した手紙は、松本 竣介も耳が不自由でなければ当然兵隊として戦いたかったこと、子供にも兵隊 になることを理想と説いていた、時代の空気を伝えている。

 幼い莞さんが描いた鉛筆絵をモチーフにした、II.後期:人物の6.童画が面白 い。 「象」「牛」「電気機関車」「汽車」「せみ」、子供の絵に絵を描く純粋な喜 び、自由さを見出している。 キャンバスに白い絵具を塗り、乾いてから青や 緑の絵具を薄く溶いてかけ、ところどころ布などで拭うと、思いがけぬ美しい マチエールが出来るという。 その上に、莞さんが描いた絵を黒で写している。