服部真二さんの謝辞 ― 2013/03/02 06:34
服部「ネ豊」次郎さん「お別れの会」での、甥にあたる服部真二セイコーホ ールディングス株式会社代表取締役会長兼グループCEOの謝辞。
「ネ豊」次郎さんは、昨年4月に体調不良を訴え入院、血液のがんとわかり、 抗がん剤での治療を開始、持前の明るさと前向きの姿勢で、9月には退院した。 1か月半リハビリに努め、10月21日の連合三田会大会に出席、塾長の弔辞に あった四国、北陸の三田会、秋の園遊会にも出た。 12月初旬、再入院、もう 体力、気力がなくなっていた。
叔父・甥、上司・部下、先輩・後輩、の関係だった。 人好きで、人と楽し く話して輪を広げた。 35年前のある雑誌で、趣味を訊かれ、「人と話す事」 と一行で答えていた。 生粋の江戸っ子で、歌舞伎と相撲が好き、あんぱんが 好物だった。 茶目っ気があり、人を和ませるところがあった。 愛していた のは、一番が妻・悦子様、二番目が皆様・慶應の方々、尊敬していたのは、一 番が福沢先生、二番目が(祖父で)創業者の金太郎だった。 先を見抜く力が あった。 こういう体験がある。 2003,4年頃、これからの時計産業について 模索していた時、電話があり「電波時計です」と言ってガチャンと切った。 社 内一体となって方向を定め、現在は4割が電波時計になっている。
慶應に始まり、慶應に終わった、幸せな92年間だった。 長寿は、皆様に 与えられた元気と喜びのゆえだ。 あの笑顔は忘れられない。
ワグネル・ソサイエティー男性合唱団の「丘の上」の献奏があり、献花とな った。
(閑居老人の蛇足、言わずもがなの余計なお世話だが、勇気をふるい、敢え て書いておく。 この服部真二さんの謝辞、身内に敬称・敬語を遣ったのに違 和感を持った。 銀座は服部時計店の向かい、天金の出の池田弥三郎さんの顔 が浮かぶ。 27日、テレビで団十郎の本葬のニュースを見ていたら、海老蔵が 謝辞で「父から“頂いた”この身体」と述べたのを、字幕は「父から“もらっ た”この身体」としていた。)
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