司馬遼太郎さんの第27回 菜の花忌2024/02/15 07:06

閉会後、頂いてきた日比谷花壇調製の「菜の花」

 2月12日、司馬遼太郎さんの第27回 菜の花忌が文京シビックホールであった。 シンポジウムに、磯田道史さんと『人よ、花よ、』朝日新聞連載中の今村翔吾さんが出るというので、往復はがきで申し込んだら当って、久しぶりに出かけた。 いつもの元NHKアナ古屋和雄さんの司会、テレビ『街道をゆく』の朗読でお馴染みの声だ。 まず記念財団理事長で、司馬さんのみどり夫人の弟、上村洋行さんの挨拶、東大阪市の司馬遼太郎記念館の周辺はご近所の方々の協力もあって、菜の花の花盛りだという。

 昭和46年から25年間の『街道をゆく』の旅は、みどり夫人、画家(須田剋太さんから安野光雅さん)、編集者、他社の編集者など、十数人の旅で、夜に部屋で集まってする話が面白い。 いつの間にか、司馬さんの独談となり、毎日違うテーマの興味深い話題になる、何でもない話が、歴史論、文明論にすりかわっている。 『街道をゆく』の原型は、大阪万博の2年前、昭和43年からの文藝春秋の『歴史を紀行する』。 スタイルは同じで、土佐から、竜馬と酒と黒潮、三回目に滋賀県、近江商人の故郷。 『街道をゆく』の初めは湖西の道(朽木街道)、滋賀県が好きだった。

 つづいて、司馬遼太郎賞贈賞式、第27回は岡典子さんの『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(新潮社)。 スピーチで、このテーマに取り組んだのは10年前、50歳の時で、皆に反対されたが、人が最後に求めるものは何か、これからの自分と人々の道しるべになるものを、追い求めたいという衝動にかられて、20年がんばってみようと始めた。 そう思ったのは、20年間クラシック音楽をやり、桐朋学園大学でフルートを専攻、手を痛めて30歳前に筑波大学大学院で、心身障害学を研究、現在、筑波大学教授、専門は障害者教育史。

 ナチスドイツを学習することから始め、現地に何度も足を運んでいると、一筋の強い光が見えてきて、絶望より希望を感じるようになった。 ナチスドイツには、1万から1万2千人の潜伏したユダヤ人がいて、偽りの身分証などを持っていた。 一方、彼らを助けるドイツ人が2万人いた、平凡な普通の人々だったが、良心、覚悟、信念があった。 その両方の人々は、生きるとは何かを教えてくれた。 なぜ希望を持ち続けられたのか。 密告社会の中でも、互いを信じることで、結ばれていた。 相手を信じるつながり、自分は一人ではない、と。 私も編集者と出会って、昨年5月の出版に漕ぎつけたが、私も一人ではないというのが、出発点になって、多くの読者に恵まれ、この賞をいただくことになった。

 16歳から25歳までの若者の知的探究心を応援する「フェローシップ賞」は、朋優学院高校2年の船橋櫂君で、企画テーマは「関東・京都・奈良のカモ神社調査~今も残る古代カモ族の息吹を感じる~」。 『街道をゆく』にたびたび出てくる「カモ氏」に興味を惹かれ、「カモ」と名のつく土地、各地の「カモ神社」に足を運んで調査し、多くの史料にも目を通し、自分なりの考えを報告にまとめたい。

 昨年の「フェローシップ賞」、平田京妃(みやび)さん(大阪大学ベトナム語専攻2年)「ベトナムの文化から考察する健康・ダイエット」の中間報告。 ベトナムの食生活は魚中心、やせ型の人が多く、アオザイは身体の線が出て、太ると着れなくなる。 「もったいない文化」があり、「実を取ったら、木を植えた人のことを思え」という諺があり、日本の「いただきます」に通じる。 食べられない時代、二つの戦争、アジア太平洋戦争とベトナム戦争があり、「ご飯食べた?」という挨拶がある(ミャンマー、韓国も)。 日本は欧米文化の印象が強く、古さも残る町並みのベトナムの「もったいない文化」を学ぶべきだ。