学徒出陣、「忠孝不二」という揮毫2024/02/25 08:06

 「岩田剛典が見つめた戦争 小泉信三 若者たちに 言えなかったことば」で、いくつか印象に残ったこと、知らないこと、があった。

 学徒出陣することになった学生が、小泉信三塾長に挨拶に行き、日章旗の先頭に揮毫してもらう。 その文句が、「征け〇〇君」と「忠孝不二」の二つだった。 「忠孝不二」は、「忠孝二つならず」と読むのだろう。 「忠孝」は、主君に対する忠誠と、親に対する誠心の奉仕で、臣下としての義務を尽くすことと、子としての義務を尽くすこと。 当時の主君は、天皇だろう。 「二つならず」は、二つのものでない、一つのものだ、忠と孝は矛盾しない、一致するというのだろう。

 すぐ私は、今年の第189回福澤先生誕生記念会での荒俣宏さんの記念講演を思い出した。 「修身要領」と「教育勅語」<小人閑居日記 2024.1.15.>に書いたように、荒俣さんは福沢の(思想を高弟がまとめた)「修身要領」と、「教育勅語」の9割は同じことが書いてあるが、「教育勅語」の一番いけないこと、恐ろしいことは、「修身要領」にはないことの二つ、「親に孝、国に忠」と語ったのだった。

 小泉信三の『海軍主計大尉小泉信吉』に、信吉の出征に臨んで、手渡した有名な手紙がある。 「若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は享けた。」 「今、国の存亡を賭して戦う日は来た。君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足であろう。二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、如何なる人にも恥しくない、悔ゆるところなき立派な生活である。お母様のこと、加代、妙のことは必ず僕が引き受けた。」 「お祖父様の孫らしく、又吾々夫婦の息子らしく、戦うことを期待する。」

 息子は、二三度読み返して、顔を輝かせて「素敵ですね」と言ったそうだ。

等々力短信 第1176号は…2024/02/25 08:13

<等々力短信 第1176号 2024(令和6).2.25.>元禄地震 房総沖巨大地震と大津波 は、2月12日にアップしました。 2月12日をご覧ください。