キリスト友会、普連土学園、クエーカー2024/02/11 07:30

 御田小学校の「岬門」から丘の上の道へ戻って、まっすぐ伊皿子に向かわずに、すぐの三叉路を右の細い道に入って、進むと右にキリスト友会(ゆうかい)(キリスト教クエーカー派・日本本部)の質素な建物がある。 私は知らなかったのだが、クエーカー教徒はフレンド派とも呼ばれ、亀塚や済海寺を北に下った聖坂の普連土学園中学校・高等学校は、1887(明治20)年、当時アメリカ合衆国に留学中だった内村鑑三と新渡戸稲造の助言で、ペンシルベニア州フィラデルフィアのキリスト友会婦人伝道会が女子教育を目的に設立した。 現在でも、日本唯一のキリスト友会の教育機関だそうだ。 校名の「普連土」の当て字は、津田仙(津田塾大学創立者津田梅子の父)が、「普(あまね)く世界の土地に連なる」、転じて「この地上の普遍、有用の事物を学ぶ学校」であるようにとの思いから命名したとされる。 教育理念の核として、クエーカーの言葉である内なる光と神の種子を掲げている。 1学年約135名、3クラス編成の、完全中高一貫校だ。

 私は、「慶應音頭」だったかに、「三田の慶應か、慶應の三田か そばじゃ、普連土の鐘が鳴る」という文句があったと憶えていたのだが、1964(昭和39)年卒業の時にもらった『慶應歌集』には出ていなかった。 ただ、釈迢空(折口信夫)作詞の「慶應おけさ」、「三田の山から 光が見える あれは台場か みおの灯か 言うてくれるな わが想い」があるのを知るという副産物を得た。 ついでに普連土学園の校歌は、室生犀星作詞、川村信義作曲だそうだ。

 そこでクエーカーだが、キリスト教プロテスタントの一派であるキリスト友会(Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称である。 17世紀に清教徒革命(イングランド内戦)の中で発生した宗派で、教会の制度化・儀式化に反対し、霊的体験を重んじる。 この派の人々が神秘体験にあって身を震わせる(quake)ことからクエーカー(震える人)と俗称される。 会員自身はこの言葉は使わず友会徒(Friends)と自称している。 クエーカーという名称は、創始者ジョージ・フォックスに対して判事の使った言葉に由来するという。

 キリスト友会には、経典や正式の教義箇条はないが、信者間にある一定範囲の教義的合意はみられる。 最も中心にある考えは、内なる光である。 それぞれの信者に力を導く、内なる光の信仰は、証言(Witness「信仰的証し」の意)と呼ぶ幾つかの主要概念の発展につながっている。 証言には平和主義、男女・民族の平等、質素な生活、個人が誠実であり続けることなどがある。

 友会徒の証言として一番知られているのは平和主義で、暴力は常に誤りであるという信念は今日も認められている。 多くの良心的兵役拒否者、非暴力の提唱者、反戦活動家は、友会徒である。 1947(昭和22)年にノーベル平和賞を受賞し、アメリカフレンズ奉仕団とイギリスのフレンズ協議会が受け取った。

 日本での歴史は、1885(明治18)年にキリスト友会婦人外国伝道協会から最初の宣教師、ジョセフ・コサンドが派遣された。 戦後の日本ではGHQのボナー・フェラーズ准将が熱心なクエーカー教徒で、布教活動に勢力を注いだ。 また、後に天皇になる皇太子明仁(現、上皇)の家庭教師エリザベス・ヴァイニングは信徒だった。 日本人信徒としては、新渡戸稲造や石谷行(すすむ)が著名である。 石谷行(1931~2002)は、教育学者で法政大学名誉教授、1969(昭和49)年、牧師の大野道夫らと「良心的軍事費拒否の会」を結成し、防衛費分の税金支払いを拒否した。