日本国憲法と福沢、NHK「人権の時間」、『帝室論』 ― 2024/11/04 07:08
日本国憲法と福沢諭吉。 太平洋戦争開戦の昭和16(1941)年に生まれて、空襲が最初の記憶であり、戦争直後に六三制二年目の小学校に入った私は、新憲法下で物心がついた。 NHKしかなかったラジオの(テレビはもちろんない)今でいうゴールデンタイムに、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で始まる「人権の時間」というのがあった。 緊迫したようなテーマミュージックが流れ、労働三法の普及のためだろう、「○○労働基準監督署は…」と、労働問題の事例などを紹介していた。
昭和10年代には次第に、「福澤思想抹殺論」が出回り、慶應義塾は西洋の自由主義を日本に入れた福沢諭吉の学校として、言わば国賊のように見られるようにもなっていた、という。 それが、敗戦によって一変した。 日本国憲法に、福沢の思想や理想が、きわめて近かったのである。 その一つに、象徴天皇制と福沢諭吉の『帝室論』の話がある。
吉田内閣の時、天皇陛下から、民主主義の時代に国民と皇室の関係はどうなければならないかというご下問があった。 即答できずに、「本来なら切腹だ」と、真青な顔で官邸に帰ってきた吉田さんに、福沢諭吉の『帝室論』のことを話したのが、武見太郎さんだった。
早速『帝室論』を読んだ吉田首相が、小泉信三さんに文部大臣を頼もうといい出す。 使いの武見さんに、小泉さんは戦災のけががまだ治っていないからと断わる。 それでは高橋誠一郎さんだということになり、武見さんは「先生、福沢の弟子として、こういう時に福沢の遺志が政府に伝わるのは非常にいいことなので、それをする義務は先生にだってあるでしょう」という殺し文句を使って、高橋さんを官邸に連れ込む。
『帝室論』には、「帝室は政治社外のものなり」「我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり」「帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を催ふす可し」とある。
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