歌丸「城木屋」のマクラ ― 2007/10/30 07:39
旅行のことは、いずれ書くとして、落語研究会の桂歌丸「城木屋」に戻る。 落語はいつ始まったのかと、歌丸はよく聞かれるそうだ。 わかりません、そ んなことがわかるようなら、文部大臣をやっている、という。 江戸の櫛職人 で又さんという人が、同好の者が集まって笑い話を披露する「はなしの会」を、 向島の武蔵屋で始めた。 最初はごく短い、「ぶーーーーーーーーん、はい(蠅)」 といった話だったのが、中ぐらいの長さになる。 たとえば、こんな話だ。
村々で仕事をするドサ回りの芸人が雑徭宿(ぞうよう、雑用かもしれない。 木賃宿より上と歌丸)に泊まって、柱によりかかっていると、襟のところが「チ クリ」とした。 シラミだ、英語でホワイト・チーチー。 シラミをつかまえ た男は、つぶすと汚いので、つぶさずに柱の節穴に入れ、ちり紙を丸めてセン をした。 一年後、同じ宿に泊まって、柱によりかかっていて、思い出した。 襟の爪楊枝で、紙のセンを取ってみると、目は落ち窪み、やせ衰えたシラミが 出てきて、モソモソ動いているような気がした。 手のひらに乗せると、「チク リ」として、手のひらからむくむくと体の中に入り込んだ。 シラミは全身を まわり、男は命を落とし、仏となった。 これを「シラミが仏」という。
櫛屋の又さんは、小づくりだったので、山椒は小粒でもヒリリと辛い、とい うところから、三笑亭可楽と名乗り、これが初代。 この「ヒリリ」をスポー ツ紙の芸能記者がおかしい、「ピリリ」だろうと、書いた。 「ピリリ」は山葵 で、山椒は「ヒリリ」が本当、えごさがある。 公私ともに私に逆らった奴は 早死にするから、あの記者も七回忌くらいだろう(歌丸のこの辺の、えぐさは、 余りいい感じがしない。『広辞苑』は「ぴりり」だった)。 その三笑亭可楽が 三題噺というものを思いついた。 仲入前に客から題を三つもらって、それを 長い噺に仕立てる。 円朝はその名人で、「鰍沢」は三題噺だ。 可楽が「東海 道五十三次」「伊勢の壺屋の煙草入れ」「江戸一番の評判の美人」という三つの 題をもらった。
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