紅葉の軽井沢町を歩く2007/11/06 07:02

紅葉の旧軽、この先が「ショー記念礼拝堂」

 10月28日(日)は台風一過の快晴になった。 ホテルの窓のカーテンを開 けると、うっすら雪をかぶった浅間山に、朝日があたっている美しい景色が飛 び込んできた。 浅間山の眺めは、このあと鬼押出し園へ行ったので、十分堪 能することができた。 鬼押出しには、高校一年生の夏、友人たちとその知り 合いの北軽井沢の別荘に滞在させてもらった時に来て以来だから、ほぼ50年 ぶりの再訪となった。 途中、白糸の滝に寄って、軽井沢の町に下っていくバ スのまわりの、紅葉(とりわけ落葉松の黄葉)がすばらしい。

 軽井沢外国人墓地にドロッパーズ教授夫人の墓を訪ねた。 ギャレット・ド ロッパーズは、明治23年に慶應義塾が大学部を開設するにあたって、ハーバ ード大学から来た理財科の主任教員で、来日前に結婚したばかりの夫人コーラ は明治29年の夏、軽井沢に避暑中、赤痢で亡くなった。 翌年ドロッパーズ は亡くなった夫人の妹ジーンと再婚している。

 旧軽井沢では、観光客でごったがえす銀座通りを「福澤諭吉協会」の旗を立 てて歩き、「ショー記念礼拝堂」と、外国人別荘第一号「ショーハウス」を訪れ る。 「軽井沢の草分け」「軽井沢の恩父」といわれるスコットランド系英国人 アレキサンダー・クロフト・ショーは、明治6年に来日した宣教師で、三田の 大松寺という浄土宗の寺に寄宿している時、福沢の子供たち、一太郎、捨次郎 が英語を習いに行った縁で、福沢と親しくなり、三田山上の邸内の西洋館に三 年間住まわせてもらった。 飯倉に教会をつくりそこに移った後も、終生福沢 一家と親しくしたという。 「ショーハウス」には、小さなブリキのバスタブ があった。 皆さんが小さすぎるとあげつらうので、私は「他にも、大、中が あった。 あれは、ショー」と言った。