「月並」の変遷、上方と東京2007/11/29 07:47

 「月並丁稚」は、東京の「粗忽の使者」である。 丁稚と侍の違いがあるだ けで、口上を忘れて、ケツをひねってもらう筋は同じだ。 上方では「いらち の丁稚」という題もあるらしい。 プログラムの田中優子さんの「新・落語掌 事典」で知ったのだが、「月並」という言葉は、「月次」「月浪」とも書き、もと もと毎月定まった日に集まって何かを行う「月例」という意味なのだそうだ。  古くから「月並」の漢詩、和歌、連歌の会が、貴族や武士の文学修業のために 行われていた。 江戸時代になると、それを受け継いだ町人が、「月並」の俳諧 や茶の湯を楽しむようになる。 平凡で新鮮味がないという意味に使われるよ うになるのは、明治以降だという。 「月並丁稚」では、丁稚の貞吉が使いに 行った十一屋さんで「本町の佐平のところからまいりました。 当月28日には、 月並の釜をかけますので、旦那さんによろしく」という口上を忘れる。 茶の 湯の会の案内だった。

 「月並」の本来の意味を知り、月例の俳諧の会が、なぜ陳腐な句のことをい うようになったのか、興味を持った。 マンネリズムと関係があるのだろうか。  上方の「月並丁稚」と、東京の「粗忽の使者」では、どちらが先なのだろう か。 私などは、侍をからかう意味を加えた「粗忽の使者」の面白さに軍配を あげるが、その成立過程や伝播の事情にも、興味がわく。

 落語は、このように、勉強になるのである。