今井信郎のこと2010/08/22 06:36

 磯田道史さんが「龍馬を斬った男」と書いた今井信郎(のぶお)のことを調 べる。 司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んだ頃に買ったのだろう、平尾 道雄著『龍馬のすべて』(久保書店・1966年)という本が書棚にあった。

 坂本龍馬が京都の近江屋で暗殺されたのは、慶應3(1867)年11月15日の 夜。 暗殺犯は特定されていないが、定説では徳川幕府側の京都見廻組の七人 ということになっている。 その七人の中に、今井信郎がいた。 戊辰戦争で は、榎本武揚に従い北海道箱館で最後の抵抗を試みたが、降伏している。 そ の時、刑部省が取り調べた口供書「箱館降伏人 元京都見廻組今井信郎口上 午 三十歳」によると、当夜近江屋を襲ったのは見廻組の与頭(よがしら)佐々木 唯(只)三郎(同じ慶應3年4月江戸で庄内の清河八郎を斬った)と配下の渡 辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、今井信郎、桜井大三郎の七人、 佐々木は二階の上り口でがんばり、二階に踏み込んで龍馬と中岡慎太郎を斬っ たのは渡辺、高橋、桂の三人で、肝心の今井を含む三人は家の周辺を警戒して いたという。

 当初、龍馬暗殺は新撰組の仕業だと言われていた。 近藤勇が捕えられて尋 問を受けた時、新撰組の原田佐之助がやったと認めたという。 上の今井と同 じ箱館降伏人のうちに新撰組の横倉甚五郎、相馬主殿(とのも)、大石鍬次郎ら がいて、彼らの口供書に、近藤勇の陳述は合点がいかない、どうせ打首になる のだから弁解を避けたのだろうとし、かねがね近藤は見廻組今井信郎、高橋某 だと言っていた、とある。 今井信郎の名だけが、はっきりと挙げられている。

 今井信郎は徳川家の旗本の家に生れ、剣客榊原鍵吉門下で、小太刀の名手だ った。 維新後は遠州初倉村にひっこみ、事件については一切語らず、熱心な クリスチャンとして晩年を送った。 今井信郎の孫から、そのいとこが聞いた 話が、高知新聞に載ったことがある。 信郎の妻いわは同行して京都にいた。  ある晩おそく帰って、一室に閉じこもって出てこない。 ふすまをあけて見る と、右手の中指がザックリ削がれているのを、焼酎で洗っていた。 その時、 坂本龍馬を殺しに行って、中岡慎太郎に斬られたと話したらしい、と。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック