「ある種の頭の良さ」を持った女中 ― 2010/09/28 06:40
タキさんが、目のぱっちりした、お嬢様のように若々しくて美しい時子奥様 のところに奉公したのは、奥様が22になったばかり、自分は八歳下の14歳の 時だった。 だから、あれから二人はずいぶん、濃い時間をいっしょに過ごし た。 タキさんが奉公したその年、旦那様の予期せぬ事故死で、奥様が恭一ぼ っちゃんを連れていったん実家に帰った時も、翌年暮に平井家に子連れで再縁 した時も、タキさんはついていったから、いっしょにお嫁にいったようなもの だった。
再婚から三年目、タキさんが17歳の時、赤い三角屋根の二階建て文化住宅 は建った。 機能的な中廊下型、南に応接間兼書斎、畳の居間、続きが夫婦の 寝室の三間、北側は台所、風呂、ご不浄の水回り。 玄関右手の二階へ上がる 階段の裏側が女中部屋、専用の便所まである。 二階は二間で、一つは子供部 屋。 玄関脇のステンドグラス、応接間の丸窓などは、時子奥様が、ご自分が 欲しいデザインを注文したものだった。
昭和5年春13歳で東京に出たタキさんは、昭和10年に17、8歳、東京は五 年後にオリンピックを開催するというのでウキウキした気分、二・二六事件の あった昭和11年頃も懐かしい平和な情景しか浮かばない、という。 二・二 六で、家付きの女中が、岡田首相を女中部屋にかくまって、命を救ったという 武勇伝が、うれしくて誇らしくてたまらなかった。 タキさんは、人様のため に働く仕事をする人に大事な職業的能力「ある種の頭の良さ」(最初に奉公した 小中先生の言)を持ち、出入りの商人に対する女中の基本は「気は心」だと承 知し、工夫上手で、見えないところにも手を抜かない。
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