江戸期の通貨発行、家意識、庶民の輝き2015/07/01 06:39

 磯田道史さんの『無私の日本人』に教えられた「江戸時代」の続き。 これ また司馬遼太郎さんのように「江戸時代の奇妙さは」で始まる。 「江戸時代 の奇妙さは、国家の大権であるはずの通貨発行の実務を、国家みずからが行わ ず、ちまたの商人にゆだねたことである」。 「寛永通宝」という銭を、銅また は鉄で鋳る「鋳銭」であるが、中央政府たる徳川幕府は、この基本的通貨の発 行を一手におさめなかった。 親藩はもちろん、外様大名にまで、「鋳銭」を許 した。 もちろん、幕府の許可のもとで行われるのであるが、それは建前であ って、「鋳銭」を許された大名は、もとより財政難だから、野放図に、銭を鋳た。  しかも、この鋳造作業は、藩が直接に手を下すのではなく、豪商などに請け負 わせた。 商人が、銭を鋳ることを「鋳銭御用」という。

 国家の一大事である通貨発行を、幕府から藩へ、藩から商人にゆだねてしま う、徳川幕府のこのやり方は、幕末にいたり、悲劇につながった。 薩摩藩な どの諸藩が、贋貨幣を発行して、おおいに藩庫を肥やした。 「寛永通宝」は、 一枚つくっても一文(いまの五十円)にしかならないが、「天保銭」は一枚で百 文(同五千円)に通用する恐るべき銭であり、この「天保銭」を「私鋳」する ことで、幕末、諸藩は大いに儲けた。 諸藩に銭を鋳させた幕府にも脇の甘い ところがあり、それが幕府のいのちを縮めた。 

 江戸時代も後半にさしかかっていた『無私の日本人』穀田屋十三郎の時代に なると、「家意識」は、この吉岡のような小さな宿場町の人間にもすっかり浸透 していたそうだ。 「家意識」とは、家の永続、子々孫々の繁栄こそ最高の価 値と考える一種の宗教である、と磯田道史さんは言う。 この宗教は「仏」と 称して「仏」ではなく先祖をまつる先祖教であり、同時に、子孫教でもあった。  子孫が絶え、先祖の墓が無縁仏となることを極端に恐れた。 江戸時代を通じ て、日本人は庶民まで、この国民宗教に入信していった。 室町時代までは、 家の墓域を持つことはおろか、墓に個人の名を刻むことさえ珍しかったが、江 戸時代になると、「誰が墓を守るのか」が問題になり、「墓を守る子孫」の護持 が絶対の目的となった。 それゆえ、「現世のおのれか、末世の子孫か」と、迫 られれば、たいていの人間は後者をとった、と磯田道史さんが書いている。

 「無私の日本人」の主題にも関係のある、江戸時代人の姿も引いておく。 「江 戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民は、/― ―親切、やさしさ /ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験した ことがないほどの美しさをみせた。倫理道徳において、一般人が、これほどま でに、端然としていた時代もめずらしい。」

 「苗字をもち、武士並みの身分をもつ千坂よりも、菅原屋と十三郎のほうが、 切腹の覚悟が定まっていたのは、別段、驚くにあたらない。この時代の百姓町 人は、いざとなれば、そういうものであった。/いってみれば、/――廉恥 / というものが、この国の隅々、庶民の端々にまで行き渡っており、潔さは武士 の専売特許ではなかった。」