ポツダム宣言草案の起草者はグルーではない?2015/08/18 06:20

 昨日書いた「歴史秘話ヒストリア」のホームページに、参考文献があった。  番組を見られなかったので、岩波新書の中村政則著『象徴天皇制への道―米国 大使グルーとその周辺―』が読みたくなって、本屋に行ったが版元絶版とのこ とだった。 幸い、近くの図書館にあった。 新赤版89、1989(平成1)年 10月20日発行で、中村政則氏は一橋大学経済学部教授とある。

 「ポツダム宣言―奮闘するグルー―」の章に、「歴史秘話ヒストリア」のあら すじとは、少し違うことが記されていた。 ポツダム宣言草案の起草者は、グ ルー国務次官でなく、スチムソン陸軍長官だというのである。 ポツダム宣言 原案となっていく重要な文書は、1945年7月2日にスチムソンがトルーマン 大統領に提出した「対日計画案・覚書」とそれに添えた「共同声明案」の二つ だという。 この「覚書」を基礎にマックロイ(陸軍省)、ドゥーマン、バラン タイン(国務省)らの入った対日声明案起草小委員会が手を加えてポツダム宣 言草案となっていったというのである。

 中村政則氏は、こう指摘している。 つぎの本は、いずれもグルーがポツダ ム宣言原案を書いたかのように記している。 五百旗頭真『米国の日本占領政 策』(下)中央公論社1985年、エマーソン『嵐の中の外交官』朝日新聞社・1979 年、小堀桂一郎『宰相鈴木貫太郎』文藝春秋・1982年、平川祐(示右)弘『平 和の海と戦いの海』新潮社・1983年。 しかし、山極晃氏の論文「ポツダム宣 言の草案について」(『横浜市立大学論叢』人文科学系列、1986年)が明確に実 証したように、それは明らかに間違っており、中村政則氏自身も資料にあたっ てみた結果、山極氏のスチムソン原案説のほうが正しいことを確認した、とい う。

 これより先、5月7日にナチス・ドイツ軍が無条件降伏した。 翌8日ころ グルーは、スチムソン陸軍長官からヤルタ秘密協定と原爆開発計画を知らされ た。 ヤルタ秘密協定で、スターリンはドイツ降伏から3ヵ月後に対日参戦す ることを米英首脳に約束していた。 5月末までに東京は3回にわたって猛爆 撃を受け、宮城の一部も焼けた。 このうえ原爆が落とされることになれば、 和平交渉の主体となるべき穏健派も焼き殺されてしまうかもしれない。 そう なれば、日本を早期に無条件降伏に引き出すことはますます困難になろう。 グ ルーは一刻も猶予できないと判断し、1945年5月下旬から6月中旬にかけて、 日本の早期降伏を引き出すために行動を開始した。