A級戦犯容疑者の東京裁判2015/08/29 06:36

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は、昭和21(1946)年1月19日連合国最高 司令官マッカーサーの命令で設立された極東国際軍事裁判所が日本の戦争指導 者に対して行った裁判。 一昨日見たように、戦争犯罪を、A級「平和に対す る罪」、B級「通例の戦争犯罪」、C級「人道に対する罪」の類型に分け、裁く ことになった。 原告は米・英・中国・ソ連・フランス・オランダ・カナダ・ オーストラリア・ニュージーランド・インド・フィリピンの11か国。 A級 戦犯容疑28名に関する起訴状が同年4月28日に発表された。 起訴状では、 1928(昭和3)年の張作霖爆死事件から1945(昭和20)年の終戦まで、日本 の「犯罪的軍閥」がアジア・世界支配の「共同謀議」をなし、侵略戦争を計画・ 開始したと告発した。 この点について『日本歴史大事典』(日暮吉延)は、「英 米法特有の共同謀議という犯罪概念(2名以上の違法な合意だけで独立犯罪が 成立する)を用いることで、立証を容易にし、かつ単純明快な陰謀史観で日本 の行動を説明しようというのが検察側の意図であった。」としている。

5月3日から東京市谷で開廷。 裁判長は、オーストラリアのウェッブ。 主 席検察官は米国のキーナン。 戦争指導者と目された個人の刑事責任を追及し た。  昭和23(1948)年11月12日判決。 28名の被告のうち、絞首刑7名(東 条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章)、 終身禁固16名(木戸幸一、平沼騏一郎、賀屋興宣、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、 大島浩、星野直樹、荒木貞夫、小磯国昭、畑俊六、梅津美治郎、南次郎、鈴木 貞一、佐藤賢了、橋本欣五郎、岡敬純)、禁固20年(東郷茂徳)、禁固7年(重 光葵)、公判中に死亡した松岡洋右、永野終身と精神異常と認定された大川周明 は免訴。 絞首刑の7人のうち、6人が陸軍の軍人、文官は外交官出身で首相 を務めた広田弘毅だけだった。 海軍には死刑の判決を受けた者がいない。

 パール判事ら5名もの判事が独自の別個意見を提出したが、これは判事団内 部の意見対立を反映している。 その後、1950(昭和25)年にGHQは仮釈放 制度を設け、重光葵を巣鴨プリズンから仮釈放した。 1951(昭和26)年の サンフランシスコ講和条約には日本が東京裁判を受諾することが明記された。 それ以外の被告(病死者を除く12名)は日本の独立後、対日講和条約第11条 に基づき日本政府の赦免勧告を連合国側の講和条約当事国が受け入れる形で 1954(昭和29)年~56(昭和31)年に仮釈放された。 

 B級「通例の戦争犯罪」とC級「人道に対する罪」裁判についてもふれてお く。 降伏文書に署名した米・英・中国・フランス・オランダ・オーストラリ アと、米のマニラ法廷を引き継いだフィリピンの7か国が実施した。 西南太 平洋地域全域は米軍が東京青山・横浜で、英軍はシンガポール・香港などで、 オランダは蘭領東インド(現、インドネシア)12か所で、フランスはサイゴン で裁判を開いた。 中国は、中華民国と中華人民共和国がともに裁判を行って いる。 被告5700名のうち984名が死刑を宣告された。 BC級戦犯の有罪 者のうち、朝鮮人148名、台湾人173名がいたという。