六日六晩の憲法2015/08/24 06:33

 8月、続いているブログの流れで、日本国憲法や戦争直後のことにも、ふれ なければならないだろう。 14年前に、こんなことを書いていた。

等々力短信 第905号 2001(平成13)年7月25日

ことの発端は、白洲正子さんの夫君白洲次郎氏の伝記『風の男 白洲次郎』 (青柳恵介著、新潮文庫)を読んだことだった。 白洲次郎は、福沢諭吉の書 簡集にもその名がみえる摂州三田九鬼藩の重役・家宰白洲退蔵の孫にあたる。  豊かな家に育ちケンブリッジに留学、滞英9年、プリンシプルを重んじ、物事 の筋を通し、強者に追従しない、反骨精神あふれる独立自尊の人となった。 正 子夫人の父は樺山愛輔といい、牧野伸顕(その女婿が吉田茂)と親しかった。  共に薩摩出身の明治の元勲の息子、親英米派でもあった。 そんな関係で吉田 茂と親しかった白洲次郎は、吉田の側近として戦後史の重要な時期に、さわや かな一陣の風となって駆けぬけ、大きな足跡を残すことになる。 『風の男 白洲次郎』に加え、そこに引用されている江藤淳『落葉の掃き寄 せ 一九四六年憲法-その拘束』(文藝春秋)や安藤良雄編著『昭和史への証言 5』(原書房)、近刊でお薦めの五百旗頭(いおきべ)真『戦争・占領・講和 1941-1955』(中央公論新社)から、現在の日本をも規定している、以下の衝撃 的な事実が浮び上がってきた。

 敗戦から半年、昭和21(1946)年2月3日、マッカーサー連合国軍最 高司令官(SCAP)は総司令部(GHQ)民政局に指令(特に天皇の地位、 戦争の放棄、封建制度の廃止の3点を含む)を発し、日本政府を指導(guide) するため、独自の憲法草案の起草を命じた。 日本政府に命じた憲法改正作業 が進まず、11か国代表から構成される極東委員会の活動開始が26日に迫っ ていたからである。 民政局長ホイットニー准将は、3人の幕僚ケイディス陸 軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐に、起草作業案の作成を命じた。  25人が参画、その内21人による9つの起草委員会は、たった6日6晩の特 急作業によって、総司令部憲法草案の起草を完了する。

 2月13日、麻布市兵衛町の外務大臣官邸でホイットニーと3幕僚は、日本 側(幣原喜重郎内閣)の吉田茂外相、松本烝治憲法担当国務相、白洲次郎外相 秘書官、長谷川元吉通訳に、英文の憲法草案を手渡した。 その時ホイットニ ーは、この草案を日本側の発意によるものとして発表すること、日本政府がこ の草案の基本原則を受け入れない場合には、マッカーサーは「政府の頭越しに」 草案を日本国民に提示するだろう、またその場合にはGHQは「天皇の御身柄」 を保証しかねると明言した。 幣原内閣は3月5日の閣議で受諾のやむなきに 至ったことを決意し、天皇の御裁可を得る。