八十青年欧米視察と日本経済再建2015/10/17 06:28

 八十青年欧米視察 「等々力短信」第526号 1990(平成2)年3月25日

 昭和37年12月、松永安左エ門さんの米寿祝賀会で、小泉信三さんが、さす がに見事な祝辞を述べている。 マクラは、こうだ。 「松永さんの壮健とい うことについて、私は個人的の話を持っております。 私は74歳ですが、あ るホテルに滞在中、そこのプールに行って毎日水泳をしました。 ところが、 家族は承知しないのです。 年寄りの冷水だという。/ ところが新聞を見る と、私より十数年年長の松永翁が伊豆の別荘の前のほんとうの海で毎日泳いで おられるという記事が出ていましたので、私の家族は沈黙して何も申さなくな りました。 松永さんの徳ここに及ぶという次第であります」

 文藝春秋4月号の「ブッククラブ」で『耳庵 松永安左エ門』を評した大谷 健さんという経済ジャーナリストは、「この本は老人に勇気を与えてくれる。  なぜなら大事業、電力民営をしとげたのは75歳からの5年間であり、そのエ ネルギーは後輩をきりきり舞いさせた」と、書いている。 同感だ。 その上、 松永さんは、結核と道連れの生涯だった。 民間人の外遊がまだ難しかった昭 和29年9月、80歳の松永さんは、欧米を旅行し、『八十青年欧米視察録』を残 している。 この旅行には、原子力発電の現実と可能性をさぐること、イギリ スの歴史学者トインビーに会って、著書『歴史の研究』の日本語版版権を個人 で取得すること、戦時中、日本の重要な古美術・古建築を爆撃から守るため、 社寺や博物館、大蒐集家のリストを作成したハーバード大学のラングドン・ウ ォーナーに会ってお礼を言うこと、などの目的があった。 周囲の反対を押し て軽飛行機に乗り、ユタの荒寥たる大砂漠を横切って、フーヴァー・ダムを見 に行くなど、実に多くのことに強い関心を持ち、精力的に動きまわっている。  白崎秀雄さんは書く、「欧米旅行中の彼の貪婪(どんらん)なまでの諸方面への 関心の深さと行動の果敢さの底には、常に祖国の産業をあるいは祖国をいかに すれば立ち直らせることができるか、との烈々たる至情がほとばしつてゐる」。  この旅行で、日本政府の経済再建には、長期にわたる計画性と総合性が欠けて いると痛感した松永さんは、産業再編成のための大審議会を持つべきだという 結論に達し、昭和31年の産業計画会議の設立、議長就任へと進むことになる。

 今年は春が急なせいか、やけに眠い。 読書もいいが、一日やっていると、 退屈で、退屈で、「あーあ」とやったら、本の中から、耳の大きな老人が現れて、 「わしの半分の歳で、何たることか」と、怒鳴りつけられた。