「福沢の威を借る」〔私にとっての福澤諭吉〕〔昔、書いた福沢121〕2019/10/04 06:57

 『福澤手帖』第146号(2010(平成22)年9月)の「「福沢の威を借る」〔私にとっての福澤諭吉〕」。

        「福沢の威を借る」〔私にとっての福澤諭吉〕

 先日亡くなった井上ひさしさんに、こういう言葉がある。 彼がつくった川 西町の遅筆堂文庫の壁に、あの独特の字の額がかかっている。 「むずかしい ことを やさしく/やさしいことを ふかく/ふかいことを おもしろく」。 そ れは、幕末から明治にかけて、福沢諭吉が試みたことでもあった。 ものを書 くとき、及ばずながら私がこころがけていることでもある。

今まで『福澤手帖』に寄稿させて頂いた数は、十一回を数える。 研究者で もない私に、なぜそんなことが起ったのか。 おそらく編集を担当された歴代 の先生方が、ただ「筆まめ」という一点に、ある種の安心感を持たれたからだ ろう。 その「筆まめ」の根源を尋ねれば、高校生の時に読んだ福沢の文章に 至る。 慶應義塾百年祭の昭和33(1958)年、伊藤正雄(甲南大学)著『福 沢諭吉入門 その言葉と解説』(毎日新聞社)、藤原銀次郎著『福澤先生の言葉』 (実業之日本社)に出合って、福沢の文章と考え方の面白さにいっぺんに魅了 されてしまった。

 「政党の名は「め組」・「ろ組」にて苦しからず」(「党名一新」明治24年)

 「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。け しからぬことならずや。」(『ひゞのをしへ』明治4年)

 「鼠を捕らんと欲せば、猫より進むべし。鼠の来たりて猫に触れたる例を聞 かず」(『福翁百話』第五十六話「智恵は小出しにすべし」)

 小泉信三さんの著作からは、福沢の手紙の面白さを知った。 福澤諭吉協会 の土曜セミナーは、昭和48(1973)年11月10日の第一回以来、百三十数回 のほとんどを耳学問してきた。 そうして知った福沢の言葉や、先学から得た 知識を、水戸黄門の印籠のようにふりかざしてきた。 その最たるものは、「福 沢心訓七則は偽作」というのと、「福沢の生年の西暦」だ。 天保5年12月12 日は、単純に1834年でなく、1835年の1月10日に当る。 前者によって故 江國滋さんとの交流が出来、後者では『広辞苑』にまで苦情を言った。 何も 持たない者が、なぜか認めていただけたのは、福沢と福沢学の威を借る狐とな った、おかげであった。

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