熱心な信徒、妹・トヨが未婚のまま懐妊2020/12/07 07:11

 大正6(1917)年7月、秋吉利雄の乗艦「安芸」が、皇太子山陰行啓の供奉艦となる栄誉を得た。 一週間の休暇で、久しぶりに家に帰ろうと思っていたら、嬉野の大村屋に来てくれというミ子(ね)、チヨ、トヨの連名の電報が届いた。 行くと、実は妹のトヨが懐妊している、父母に話していないが、牛島惣太郎牧師は産めと言っているというのだ。

 トヨは伝道師となって、米子から境に移っていたが、肋膜を患い、別府温泉の自炊宿で療養をしていた。 言葉を交わすようになっていた大阪から来ていた肺病の銀行員が、部屋の前の廊下で号泣していた。 4歳の息子がエキリで死んだという電報を手にして。 部屋に呼んで、嗚咽がおさまるまで、手を握ってあげた。 どうしてあげることもできず、肩を抱き、耳元でその人の嘆きの声を聞く。 長い間抱き合っている内に、その人の手の動きが少し変わってきたが、わたしは自分の体の温かみをその人に差し上げてもいいかもしれないと、思った。 子供を失った苦悩の奥にわたしの身体の光明を見出そうとしているのだ。 主の言われる愛ではないが、身を捧げよう。 しばらくして彼は小さな声で「ありがとう」と部屋を出て行った。 翌朝、姓しか知らないその人はわたしと目を合わせずに宿を出て大阪に帰った。 やがて受胎に気づいたが、それは運命。 あの人を追うつもりもない。

 話はわかった、と利雄。 キリスト教においては、第七戒の「姦淫するなかれ」より第六戒の「殺すなかれ」の方が重いのだから、子を闇に葬ってはならないのだ。 トヨは産んで、自分で育てたいという。 これは信仰の難問であると同時に、世俗の難問である。 世間はそれを認めないだろう。 時間も迫っている。 四人で話し合った。 利雄は、ある案を女たちに伝え、翌日、妹のトヨと上京することにした。

 その深夜、チヨが利雄の部屋に入ってきて、小さな声でささやいた。 子供の頃から利雄兄さんの嫁になりたいとずっと思ってきたが、トヨさんの事を考えると、女の身には何が起こるかわからないと思った。 いつか迎えてくださるならきっとあなたの妻になる。 「おまえを嫁に迎える。間違いはない」 「兄さんの心変わりのことを言っているのではありません。女は弱い身です。ですから、兄さん、今ここでわたしを女にしてください。そうすれば最初の男は利雄兄さんだと胸を張って生きていけます」 「わかった。二人だけの婚約の儀式をしよう」 チヨが利雄の妻になったのは、五年後のことだった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック