松沢弘陽著『福澤諭吉の思想的格闘』2021/02/25 07:10

 松沢弘陽さんの三十数年にわたる福沢研究を集成した『福澤諭吉の思想的格闘 生と死を超えて』(岩波書店)を読み始めている。 第I部「福澤諭吉の西欧体験」は、『福翁自伝』でも少し触れられている、福沢がイギリスで受けた衝撃的な経験を検証したものである。 幕府の遣欧使節団の随員として、ロンドンに滞在中、使節団に文書が届けられた。 ある「社中」に属する英国市民が、自国の高級外交官が他国(日本や中国)で行った理不尽な振る舞いを批判し、罷免を求めて女王陛下に提出した「建言書」である。 そういう行為が市民によって行われ、政府もそれを咎めないという事実に、福沢は強い衝撃を受けて、後に『福翁自伝』に「ますます平生の主義たる開国一偏の説を堅固にしたことがある」と書いた。

 これについては、2006年3月25日の福澤諭吉協会の土曜セミナーで松沢弘陽さんの「福沢諭吉とmid-Victorian Radicalism -『福翁自伝』を手がかりに」を聴いて、3月30日から4月1日のこの日記に書いていた。 別に、薩英戦争でイギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたことが、ニューヨーク・タイムズやイギリス議会で問題になったことも、吉村昭さんの『生麦事件』(新潮社)や皆村武一さんの『『ザ・タイムズ』にみる幕末維新』(中公新書)によって書いていた。 それをまず四日にわたって、引かせてもらう。

   ショーロジ・カラウスヘーの建言書<小人閑居日記 2006.3.30.>

 福澤諭吉協会の土曜セミナーでは、松沢弘陽さんの充実した話を聴けた。 丸山真男門下で(一番上の方という)、ずっと北海道大学法学部教授を務め、1980年の『福澤選集』では第1巻の解説を書いている福沢研究者、現在は福澤協会理事。 難しい話かと心配していた(小泉仰さんの前回は、大学の高踏的な講義のような話に閉口して、日記に書けなかった)のは、杞憂だった。 「福沢諭吉とmid-Victorian Radicalism -『福翁自伝』を手がかりに」。

 『福翁自伝』の「欧洲の政風人情」という小見出しの所に、遣欧使節で滞在中のロンドンで、ある社中の英国人が議院に建言した草稿を日本使節に送ってきた話が出てくる。 その建言書の趣旨は、英国公使オールコックが新開国の日本で、あたかも武力をもって征服した国民に対するような乱暴無状の振る舞いをしていると、いろいろ証拠をあげて糾弾するものだった。 福沢はこの建言書を見て「大(い)に胸が下(が)った。成るほど世界は鬼ばかりではない、是れまで外国政府の仕振を見れば、日本の弱身に付込み日本人の不文殺伐なるに乗じて無理難題を仕掛けて真実困(まっ)て居たが、その本国に来て見れば〔自から〕公明正大、優しき人もあるものだと思て、ますます平生の主義たる開国一偏の説を堅固にしたことがある」というのだ。

 松沢弘陽さんは、その建言書と建言した人の探索を始める。 原文は発見できなかったが、木村芥舟『三十年史』508-520頁と、福沢の上司の「福田作太郎筆記」(東大史料編纂所蔵)に、建言書二通の翻訳があった。 「ニューカストル外国掛役人 ショーロジカラウセー」「ニューカストル外国管事公会頭取 ショーロジ、カラウスヘー」による、英国政府が中国と日本に出している官憲、外交官の非道に対する、国際法にもとづく執拗な糾弾だった。 それは現地情報と外交文書によっていて、出先外交官の弾劾と不当な政策の撤回を要求していた。 軍事力の威嚇によって結んだ条約を非難し、国際法はヨーロッパの内ばかりでなく、外でも適用されるという考え方によっていた。

 松沢さんは、ロンドンでも調査して、ついにGeorge Crawshay(1821-96)と、Foreign Affairs Committeeに、たどり着く。

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