朝日新聞、なぜ「福澤」と表記?(中国語なるほど面白クイズの答)2021/04/12 06:52

 10日の朝日新聞朝刊、土曜日beの「はじまりを歩く」が、「演説(東京都港区)」だった。 最初の見出しは「対等な社会へ 自由に意見を」で、日本に演説という文化が入ってきたのは明治の初め、「福澤諭吉が、著書『学問のすゝめ』のなかで「演説とは英語にて『スピイチ』と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なりと定義している。」「1875(明治5)年、福澤が演説を広めるため東京・三田の慶応義塾(現慶応大学)に建てたのが「三田演説館」である。146年たったいまも現存する。」と、福沢諭吉が、演説を創始し、三田演説館を建てたことを紹介している。

 この記事(文・佐藤陽記者)で、私が不思議に思ったのが、「福澤」という表記が「余話」まで一貫して使われていることだ。 朝日新聞の通常の表記では、「福沢」とするところだと思う。 なぜなのだろうか。 一方、「慶応義塾(現慶応大学)」は、「慶應」でなく「慶応」になっている。 「慶応義塾(現慶応大学)」という書き方自体も、現在は慶應義塾大学なのだから、違和感はあるけれど…。

 私は、普通の文章では「福沢」と書く。 組織の名や本の題名で「福澤」となっていれば、「福澤」を使う。 元来、慶應は自由な学校で、堅苦しいことは言わない気風がある。 福沢研究の第一人者、富田正文先生も、「福沢」を使い、「福沢」でよろしいと言っておられた。 ご自身の富田も、善福寺のお葬式に伺ったら「冨田」とあって、隣に座っておられた佐志傳さんに「冨田だったんですね」と話した記憶がある。 手書きから、ワープロ・パソコンになって、「福澤」も「慶應」も簡単に出るようになったのが、近年の「福澤」優勢を支えているのだろう。

 昨年秋、『福澤手帖』187号に、芳賀徹さんの追悼文を書かせてもらった。 文中に「福澤諭吉協会」と書いたのが3か所あったが、再校正で編集担当(慶應義塾大学出版会)から「福沢諭吉協会」と直す提案があって、そういう表記規則ならやむを得ないと、了解したのだった。

中国語なるほど面白クイズの答
1. 労働布 デニム 
2. 生魚片 お刺身 
3. 鰐梨 アボカド (当初ゴーヤとしたのを訂正) 
4. 牛角面包 クロワッサン 
5. 推鉛球 砲丸投げ 
6. 双眼皮 二重まぶた 
7. 緑毛 カビ 
8. 微軟 マイクロソフト 
9. 鋼琴 ピアノ 
10. 便民店 コンビニ

コメント

_ 轟亭(鰐梨はアボカド) ― 2021/04/23 16:07

(中国語なるほど面白クイズの答)<小人閑居日記 2021.4.12.>
3. 鰐梨 ゴーヤ は アボカド の間違いでした。お詫びして訂正します。

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