「神さまのお引越し 春日大社20年に一度の遷御」2022/11/24 07:03

 「神さまのお引越し 春日大社20年に一度の遷御」というNHK BSプレミアムが10月28日の春日大社の式年遷宮を中継した番組を、録画しておいて見た。 春日大社は、御蓋山(みかさやま)を神奈備(かんなび・平城京を中心とする神体山)として西麓に神地が設定されている。 藤原氏の氏神、当初は平城京の守護神、平安中期以降は興福寺の鎮守。 延喜20(920)年の宇多法皇の御幸以降、天皇行幸が行われ、至徳2年・元中2年(1385年)の足利義満以降、室町将軍の参詣も行なわれるなど、朝廷・武士からも信仰された。

祭神は鹿島社より迎えたタケミカヅチノミコト(第一殿)、香取社より迎えたフツヌシノミコト(第二殿)、枚岡神社(東大阪市出雲井町)よりのアメノコヤネノミコト(第三殿)とヒメカミ(第四殿)。 今回の舞台、若宮本殿は、第三殿と第四殿夫婦の御子神様として平安中期の長保5(1003)年に春日龍神(水の神)として誕生したアメノオシクモネノミコト(天押雲根命)を保延元(1135)年に祀った社殿。 平安時代の終りに、疫病や飢饉が続いたので、時の関白藤原忠通が若宮を祀ったところ、禍を祓い去り、好天で豊作となったので、万民ことごとく歓喜して踊ったという。 以来、若宮には大和の人の心の拠り所、「知恵と生命の神」として篤い崇敬が寄せられ、若宮への御間道(おあいみち)に奉納された灯籠の数はおびただしく、春日の万灯籠と称される。

そこで、10月28日夜の「神さまのお引越し」本殿遷座祭だが、本殿の20年に一度の造替(ぞうたい・つくりかえ)の間、仮殿に安置してあった神様を「淨闇(じょうあん)」という暗闇の中、本殿にお移しする儀式だ。 NHKの放送席は、南門の下、渡邊佐和子アナ、ゲストが大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一の妻をやった橋本愛、解説が櫻井治男皇學院大学名誉教授、ここも儀式が始まると暗くする。 若宮本殿の下には、秋篠宮佳子内親王も参列された。

 暗闇の中、小さな篝火で足元を照らされた花山院弘匡(かさんいんひろかず)宮司を先頭に、神職たちが列をなして、仮殿へ向かう。 宮司が祝詞をあげ、大きな御幣でお祓いをし、摂関家(摂政関白に任じられる家柄)代表の九条道成(明治神宮宮司)氏が続く。 仮殿からの通り道には、雲形幕、おめでたい紫雲の幕が張られている。 明りが全て消されて、淨闇となる。 警蹕(けいひつ)の声というのを、落語の大岡越前守の奉行所、お白洲の場面で聴いて知っていたが、ここでの警蹕は「ウォーーッ、ウォーーッ」という声が、途切れずに続くのだ。 南都楽所(がくそ)の雅楽の演奏が始まる、遣唐使が伝えたという曲「還城楽(げじょうらく)」だそうだが、これもずっと続く(内緒だが、奏者の手元だけは明りがある)。 御神霊は、お姫様を隠すような御差几帳(おさしぎちょう)という巨大な笠で覆って運ばれる。 仮殿から、南門、御間(あい)道を通って、若宮本殿まで。 ゆったりとした時間が流れる。 御神霊が若宮本殿に入り、警蹕が止む。 神職が拝礼し、「ウォーーッ、ウォーーッ」の声とともに御扉が閉じられ、雅楽の演奏が終わる。 闇の闇の中、鹿の鳴き声が聞こえる。

 明かりがともって、春日造の若宮本殿が現れた。 献饌(けんせん)、米、海の幸山の幸が供えられる。 宮司奉幣、花山院宮司が大きな紅白の御幣でお祓いをし、祝詞を奏上する。 摂関家代表も奉幣する。 この後、番組には入らなかったが、佳子内親王の奉幣もあったという。

 若宮本殿、20年に一度の式年造替で、檜皮葺が葺き替えられて、鮮やかな朱塗が本朱(水銀100%)でなされ、小西美術工藝社が担当した。 御翠簾(ごすいれん)という御簾が架けられる、京都のみす平が720本の竹ひごに緑の漆を塗ったという。 鎌倉時代からあるという二万の瑠璃玉で作られた瑠璃色の灯籠の、新調したものが吊り下げられた。 昭和5年に国に撤下された「金鶴及銀樹枝」「銀鶴及磯形」の御神宝も新調復興された。

 2時間の暗闇、心の静まるような時間だった。 退屈もせずに付き合うことができたのは、この国の伝統というものをひしひしと感じていたからだろうか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック