大谷翔平選手のポジティブな考え方2023/05/07 07:19

 世の中、「オオタニサーーン!」エンゼルス・大谷翔平選手一色である。 みんなが知っているのだろうが、私はテレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」で玉川徹さんが調べてくるまで知らなかった。 大谷翔平はいろいろな本を読むらしいが、その愛読書の一つに中村天風著『運命を拓く』があるという。

 中村天風は、自己啓発講演家、思想家。 明治9(1876)年生れ、修猷館中学に入り、柔道部のエースだったが喧嘩で相手を刺殺して正当防衛だったが退学、玄洋社の頭山満のもとに預けられ、玄洋社で頭角を現す。 日清日露戦争当時は帝国陸軍諜報員として活動した。 戦後、肺結核となり、明治42(1909)年にキリスト教の異端的潮流ニューソートの作家オリソン・スウェット・マーデンの『如何にして希望を達し得るか』を読んで感銘し、病気で弱くなった心を強くするため、アメリカに渡る。 コロンビア大学に入学し自律神経系の研究を行なったとされ、ヨーロッパ諸国を巡る。 帰国の途中、アレキサンドリア(かカイロ)でヨガの聖者カリアッパ師に出会い、弟子入りし、ヒマラヤ山麓で2年半修行したという。  大正2(1913)年インドを立った上海で、旧知の友人孫文が第二革命を起こしたため、「中華民国最高顧問」として協力、革命は挫折するものの、その謝礼として財産を得た。 帰国後は『時事新報』の記者を務め、実業界に転身すると、東京実業貯蔵銀行の頭取などを歴任して活躍していたが、大正8(1919)年6月43歳の時に「統一哲医学会」(後に「天風会」と改称)を結成、心身統一法を広め、政財界の有力者が続々入会した。 昭和43(1968)年逝去、92歳。

 そこで、大谷翔平は中村天風の『運命を拓く』から、何を学んだか。 人生は心の置きどころ一つだ、とする。 「暑くてたまらない」と考えるのでなく、「夏は暑い方がよい」と考える。 「酒がもうこれしか残っていない」でなく、「酒はまだこんなに残っている」と考える。 恐れ、悲しみ、怨み、憎しみといった消極的観念要素が巣食ってくると、運勢も暗転してしまう。 そこで、積極的観念要素に入れ替えて、人生を好転させる。

 寝る前、鏡に映る自分に向かって、「お前は信念が強くなる」と命令する。 そして朝、目覚めた直後、「私は今日信念が強くなった」と、耳に聞こえるように言う。 寝床には、消極的な思いは一切持ち込まず、明るく朗らかに、いきいきと勇ましい積極的なことだけを連想しながら眠る。 寝入りばなや、目覚めた直後に、叶えたい夢を目の前に描くように思い浮かべるとよい。 すると、潜在意識は知らないうちに、それを実現させる方向に働いてくれる。

 自分が念願することを、頭の中でありありと映像化することを、習慣化することで、その思いは現実のものとなっていく。 「信念の魔術」だ。  ネガティブな言葉――「困った」「弱った」「情けない」「悲しい」「腹が立つ」といった言葉を厳しく戒める。

 そういえば、大谷翔平はよく寝るそうだ。 昼寝も併せて、12時間以上寝るといわれる。

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