隅田川馬石の「お初徳兵衛」後半 ― 2023/05/13 07:01
徳兵衛の舟は、お初一人を乗せて、大川を下る。 すると夏のことで、一天にわかにかき曇り、ポツリポツリと雨が来て、ゴロゴロと鳴り出した。 首尾の松(現在の蔵前橋の所)のあたりで、盥の底を返したような雨になった。 徳兵衛は首尾の松の枝に舟をもやい、雨宿りする。 屋根にバラバラと雨が当たり、徳兵衛は蓑笠でうずくまっている。 徳さん、小止みになるまでの間でも、中にお入んなさいな。 一旦は断ったが、さらに勧められ…、お言葉に甘えて、あいすみません、姐さん。
ああ、降ってきやがった、一面の靄、向う岸も見えない。 いい景色、清々した。 そばへ、お寄りなさい。 ここで結構で。 いいじゃありませんか、若旦那。 隠すことはないじゃありませんか、お前さんは、あの平野屋の若旦那。 わっちのことを、ご存知で…。 もう私のことは、お見忘れでしょうが、ずっと蔭ながら岡惚れをしていたぐらいで。 地面内にお長屋をお持ちでしたね、そこに鋳掛屋の松蔵というのが居ませんでしたか、腕のいい職人でしたが、のべつ飲んだくれていて、亡くなったと。 そこに娘が一人居ませんでしたか? こ汚(ぎ)たねえ娘、継ぎ雑巾みたいな着物を着て、わっちに付いて来る、妙な娘っ子が居た…。 その汚い娘が、私なんです。 お初坊といったが、女は化けるというけれど、別人だ…。
あの頃から、若旦那のことが、好きで好きで、ちょっかいを出したりしていました。 若旦那が柳橋で遊んでいると聞いて、近くの稽古屋で三味線を習っていたら、父が死んだ。 芸者になりたいと言ったら、稽古屋のお師匠さんが、下地っ子に世話してくれた。 ずいぶん苦労をして悲しい思いもしたけれど、やっと一本立ができた。 そうしたら、若旦那がご勘当というので、がっかり。 生涯、お会いすることもないのかと思っていたら、船頭におなりで稽古をしてるという噂が、嬉しくて。 いつか、差しで逢うことが出来るよう、日頃の思いがかなえられるようにと、聖天様にお祈りしていたのが、叶いました。 スカンピンの船頭ですぜ。 あなたは酸いも甘いも噛み分けたお方、よもや女に恥をかかせることはないでしょう。 格が違う、わっちは、しがねえ船頭稼業、そちらは、柳橋の売れっ子芸者。 芸者になったのは、若旦那に逢いたいがため、男嫌いで通して来たのも、旦那を持たずに操を立てて来たのも、そのためです。 愛おしいとお思いなら、一人船頭、一人芸者は、きつい御法度、柳橋にはいられませんが、無間地獄の底までも若旦那とご一緒する覚悟。 弱っちまったな。 若旦那、後生……、とお初がすり寄って来た。
ピカッと光って、雷がガラガラ、ぴしゃり、屋形船の簾がザザーッと落ちて、お初が徳兵衛の膝にすがる。 わっちも、肝を冷やしました。
「雲盛る恋は、顔に袖 濡れて嬉しき夕立や 如何なる髪の結びよう 帯地の繻子つゆ解けて 二人は袖に稲妻の 光にパッと赤らむ顔」 お初徳兵衛浮名の桟橋、馴れ初めの一席でございます。
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