ヘンリー・キッシンジャーさんと加藤秀俊さん2023/12/05 07:05

 ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が11月29日、コネティカット州の自宅で死去した。 100歳だった。 1970年代に歴史的な米中接近やベトナム和平を推進した人だ。 それで、思い出したことがある。 加藤秀俊さんが『九十歳のラブレター』に書いていたことだ。

 加藤秀俊さんは一橋大学を卒業してまもなく、大学の掲示板で京都大学人文科学研究所の「助手採用公募」の広告を見て、応募する。 あれこれアルバイトをしていたなかで、もっとも知的でたのしかったのが、「思想の科学研究会」という団体の機関誌「思想の科学」編集のお手伝いだった。 その雑誌の実質的編集長は鶴見俊輔さん、加藤さんより5年ほど年長の多田道太郎さんが副編集長格で活躍していた。 鶴見さんは京大人文研の助教授、多田さんは助手、京都在住だから、毎週のように京都と東京を往復していた。 そのたびに加藤さんは、いろいろと教えられ、このおふたりに共通していたのは東京のアカデミズムからはまったくかけ離れた自由な発想で、そのことにいつも敬服していたから、「人文科学研究所」という名前にはしたしみとあこがれをもっていた。 加藤さんは、この助手公募試験に合格し、京都大学人文科学研究所に就職した。

 それからそこに一年もいたかいないかで、昭和29(1954)年、ハーバード大学の「国際夏期セミナー」に応募して、合格、渡米する。 セミナーの期間は8週間だったが、参加したら、加藤さんはアメリカという国にすっかり魅了されてしまった。 大学での知的刺激もさることながら、この国と文化がおもしろくてたまらなくなった。 すると、「よかったらあと一年ほどアメリカで研究したらどうかね」と声をかけてくれたハーバードの助教授がいた。 このセミナーを企画した人物で、その名をヘンリー・キッシンジャーといった。 加藤さんが即座に「イエス」と答えた。 やがてキッシンジャー助教授は「話はきまった、明日でもニューヨークにいってきなさい」といって、鉄道のキップとマンハッタンにある訪問先の地図と電話番号のメモを手渡してくれた。 ニューヨークの訪問先はロックフェラー財団、担当の女性はたいへん知的で愛想のいい人で、「よかったわね、さあ、これが今月分、来月からは郵送するわ」と、ほほえみながら300ドルの小切手を手渡してくれた。

 となると問題は、結婚目前になっていた彼女のことだった。 2か月ほどと渡米したのに、いきなり滞在を大幅に延期してしまったのだ。 思い切って彼女をアメリカによび、ここで結婚しよう、と無謀なことをかんがえ、そのことをキッシンジャー先生に相談すると、「それじゃ、どうにかかんがえよう」と、彼女をボストンまで呼び寄せる手段や手続きをととのえてくれた。 加藤さんも若かったが、のちアメリカ合衆国国務長官という要職についたキッシンジャー先生も若かった。 親身になってふたりのことを気づかってくれたのである、と加藤さんは書いている。