「英学者としての小幡篤次郎」、societyの訳語2023/12/20 07:09

 そこでまず、「小幡篤次郎の再発見」の5回目、池田幸弘さんの「英学者としての小幡篤次郎」である。 『小幡篤次郎著作集』第三巻所収の『英氏経済論』(英氏はフランシス・ウェーランド。私は2020年12月2日の福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会で、当時経済学部長だった池田幸弘さんの「福澤諭吉と経済という言説:新旧両理念のはざまで」を聴いていた)で、小幡の訳業の特質を考える。 巻の一から巻の三までは、明治4年刊行開始で、文体は漢字カタカナまじり文。 三の途中までは、やや特殊な振り仮名が頻出する。 巻の四から巻の六までは、明治6年8月刊行開始で、振り仮名は激減。 巻の七から巻の九までは、明治10年10月刊行開始で、振り仮名は激減。

 頻出するやや特殊な振り仮名というのは、「財本」に(モトデ)、「勤労」に(ホネオリ)といったもの。 小幡自身が本書の凡例で、振り仮名は初学者の「記憶」を助けるためのもので、訓ではなく音で読み下すよう述べている。 訓の振り仮名、例えば(ホネオリ)は意味を伝えるもので、読み下す時は音で「キンロウ」と読めという、諸文献でいわれている二重表記に近いともいえる。

 早川勇氏は『ウェブスター辞書と明治の知識人』(春風社・2007年)で、英和対訳袖珍辞書、英和字彙、西周の三者を比較した結果、それぞれの段階に大きな断絶があることを明らかにした。 例えば、actを、袖珍は仕業、働ラキ→字彙は所業(シワザ)、行為(オコナヒ)→西周は行為とし、行為が定着していく。 小幡のスタイルは英和字彙に近いが、現在時点から評価すると、勝利したのは、漢字のみで振り仮名のない西のスタイルである。

 経済関連用語の小幡訳「」を、現代の訳語[]と比較する。 individual「一人」・[個人] society「一国」・[社会] science「学」・[科学] capital「財本」(もとで)・[資本] wages「工銀」(てまだい)・[賃金] company「社中」・[会社]

 福沢にも『英氏経済論』の抄訳があり、societyを「一国」と訳しており、当時「一国」と訳すのは一般的だったのか、という話があった。 私は、福沢が初めsocietyを「人間交際(じんかんこうさい)」と訳していたと聞いていたので、「一国」との時期の関係を質問させてもらった。 西澤直子さんから、後年の女性論の頃にも「人間交際」も使っていたというコメントがあり、平石直昭さんからは「覚書」で「社会」を使っていることを教えていただいた。 帰宅して、「覚書」を探したら、明治10年の西南戦争を書いた直前に、それらしいのがあった。 「人間社会、最上の有様は知る可(べか)らず。唯、今の社会の有様の宜(よろ)しからざるを、論ずべきのみ。 Positive knowledge of the best form of society is impossible. We know only what it ought not to be.」

 『福澤諭吉事典』のVことば・3社会の「人間交際」によると、「人間交際」の初出は、『西洋事情』外編(慶応4年)で、「人間交際の大本」は「自由不羈(ふき)の人民相集(あつまり)て、力を労し、各々その功に従(したがい)てその報を得、世間一般の為めに設けし制度を守ることなり」とある。 さらに、当時の日本には「社会」に当たる概念がなかったことから、『西洋事情』では文脈に合わせて、「交際」「交(まじわり)」「世人」といった語も用いられている。 その後、福地源一郎によって「社会」という訳語が生まれ、福沢はしばらく「社会」と「人間交際」を併用したが、「人間交際」は次第に用いられなくなった、とあった。