古今亭文菊の「鹿政談」2023/12/24 07:26

 文菊は、例によって、そろそろと気取って出て来る。 寄席では気持悪いと言われるが、研究会は通の方ばかりだから、と。 江戸は、武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、紫、火消、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬の糞。 京都は、水、壬生菜、女、羽二重、御簾屋針、寺に織屋に、人形、焼物。 奈良は、大仏に、鹿の巻筆、奈良晒、春日灯籠、町の早起き。 奈良では鹿は、神鹿、神様のおつかいといわれ、神様は常陸の鹿島神宮から白鹿に乗って、大和におしずまりになったので、大切にされる。 万一、誤ってでも鹿を殺したりすると、死罪になる。

 三条横町(よこまち)で豆腐屋を営んでいる与平、好人物で、曲がったことが大嫌い。 二番目の臼で豆を挽いていると、外で何か音がした。 大きな犬が、「きらず」(おから)の桶のところにいる。 朝っぱらから商売物を食われてはと、シッ、シッと追ったが逃げないので、驚かそうと割り木をつかんでポーーンと投げた。 犬がごろんと倒れたので、近づくと、これが犬でなく鹿だった。 女房と、さすったり、人工呼吸をしたりしたが、死んでいた。 近所は、大騒ぎになる。

 噂はあっという間に広まり、鹿の護役塚原出雲が願い人となり、奈良の町奉行根岸肥前守(後に江戸へ栄転する)に訴え出る。 時太夫がドン、ドン、ドーンと太鼓を叩き、襖が開いて、根岸肥前守が現れる。 与平、そのほう何歳にあいなる? 六十二歳にあいなります。 生国は? 奈良三条横町で。 それは住いであろう、これ、これ、これ、気が動転しておるのであろう、奈良の生まれではあるまい。 生国は? お慈悲深いお言葉、ありがとうございます、代々奈良三条横町で豆腐屋渡世をしております。 自らのしたことがわからぬようになる病があるのであろう? 鼻風邪一つ引いたことがございません。 与平、ありていに申せ。 「きらず」を食うのを大きな犬と思って、鹿を殺してしまったもので、意趣遺恨なく薬がないかと懐をさぐり…、と、科白のようになる。 それは忠臣蔵六段目だ。 死罪は覚悟しております、一人残る婆さんだけにはご憐憫の沙汰を。

 鹿の死骸を持て。 これは犬ではないか。 奉行は、犬と見るが、その方たちは、どうじゃ? あのう、手前も、犬と見ます。 その方は、どうじゃ? 確かに、手前も犬と心得まする。 やはり、犬だ。 町役人一同は、どうじゃ? どないなっとるのか、手前どもは犬の方が有難いので。 ハッキリ言え、これは犬か? よろしげな犬でございます。 誰が何と言っても、犬に相違ございません、それが証拠に、ワンと鳴きました。

 塚原出雲、とがめだてはせん、願い下げにしたらどうだ。 畏れながら、手前、長年鹿の護役を致しております、毛並みが似ているとは言え、鹿を犬だと取り違えるようなことはいたしません、これは牡鹿一頭に相違ございません。 そうか出雲、牡鹿と言うが、角がない、角はどうした? これはこれは、お奉行様とも思えぬお言葉、牡鹿は春、角が抜け落ち、これをこぼれ角、落ちたる後に生えるのを袋角、鹿茸(ろくじょう)などと申し……。 あくまでも鹿と申すならば、ちと尋ねたきことがある。 毎年、鹿の餌料として三千両を遣わしておる、その鹿が空腹のあまり、豆腐屋の「きらず」を食うのか、鹿の餌料を町民に貸し出しておるという話も聞き及ぶ、百頭の鹿の餌料横領から先に取り調べようか、どうじゃ。

 カッ、カッ、カーーッ、役目大事の取り違えは、咎めぬ。 犬か、鹿か、犬鹿蝶か? 手前の粗忽にて、取り違えましたこと、お許しを。 これを犬と申すか、しかし、なあ出雲、角の落ちたような痕がある。 よく聞け、牡鹿は春、角が抜け落ち、これをこぼれ角、落ちたる後に生えるのを袋角、鹿茸などと申す、これは何か? 出来物、腫物が出来た痕と存じます。 これは痕だな、願書を差し戻す、一同立ち去れ!

 与平、しばし待て。 その方、豆腐屋であったな、きらずにやるぞ。 まめで帰れます。