柳家さん喬の「ちきり伊勢屋」中2023/12/12 07:05

 好きなことをしろと、左近先生は言った。 番頭さん、一度、吉原に行ってみたい。 私もご一緒します。 幼馴染の清(せい)ちゃんに頼んでみよう。 まかしときな、日本一の道楽者にしてやろう。 鶴次郎は善平という幇間と馴染になり、気持のよい兄弟のようになって遊び歩く。

 善さん、待乳山の聖天様に行きたい、あそこで江戸の町を眺めるのが好きだ。 上野、富士山、五重塔、大川、白髭橋、筑波山、牛の御前様(牛嶋神社)、いま評判のスカイツリー。 この景色、いつまで見てても、飽きないな。

 旦那、男と女が…、色恋じゃない、心中だ。 覚悟は、いいか。 一人は男、女二人、親娘心中だ。 とにかく後をつけてみよう。 私はお父っつあんを、羽交い絞めするから、善さんは…。 アハハ、きれいな女の人を二人。 そこのうなぎ屋で話を聞こう。 料理は、話が済んでからに。

 日本橋馬喰町の洗張屋白木屋源右衛門と申します、ひと月前に隣家からの火事で丸焼けになり、お預かりした着物の弁償に困り、娘二人が吉原に身を売ると申しまして、吉原に参りましたが、なんで娘が売れましょうか、思い余って三人で死のうと…。 善さん、私はちょっと席を外すので、お三人を頼む。 こういう座持ちはしたことがない。 白焼、お酒が出るが、進まない。 お待たせしました、ここに三百金ございます、これでお家の立て直しを、返してくれという金子(きんす)ではない。 お嬢様方が整えてくれた三百金とお思いになって。 では。 もし、お名前を。

 番頭さん、うちにはまだどれだけお金がありますか。 五千両と、ちょっと。 そんなにあるのか、よかった。 あなたも、好きなだけお金を持って、うちを出て行ってください。 父母の顔も知らない私を、その後継ぎにと育てて下さった。 ここまで、この家を守って下さった。 来年2月15日に死ぬと、お前さんに恩を返せない。 今までの辛抱を知らなかった。 生きている内に、お前さんに恩を返したい。 ありがとう。 そんなことをおっしゃいますが、あなたは死にません。 どんなことがあっても、この番頭はおそばにおります。

 善さん、除夜の鐘だ、新年を迎えるんだ。 日本橋の白木屋さん、風の便りでは、お店も繁盛しているそうで、行ってみようかと思っているが、一緒に行くかい。 私は芸人ですから、旦那一人で。 あなた様に、やっとお会いできました。 お蔭様で、店を建て直すことが出来、お得意様も増えました。 お美代、お光、あの方がお見えになったよ。 どうぞ、お上がり下さい。 お支度をして。 あの折は、お名前も、お所も、お聞きしませんで。 私は、ちきり伊勢屋の鶴次郎と申します。 三人が苦労話をするのを聞く。 また、お出で下さい。

 鶴次郎は、二度、三度、四度と、白木屋への訪れを繰り返す。 善さん、人を好きになったことがあるかい。 ありますよ、旦那。 女の人は、幇間に女はいらないと思うかもしれませんが。 旦那は、白木屋のお美代さんでしょう、きれいな人だ。 私はもうすぐ死ぬんだ。 好きなら、好きと言えばいいんだ。

 節分、鶴次郎は、いつかお読み下さい、と白木屋源右衛門に手紙を渡す。 厄払いが、町を歩く。 朝からの雪が、江戸中を白く染める。 お美代さん、これでご無礼を。 駕籠がつかまるまで、お供します。 雪の中を二人は蛇の目傘で行く、肩に雪がかかり(三味線の音がして)「寒くはありませんか、お美代さん」。 「おん厄、払いましょう、厄払い!」 「お美代さん、私は、お美代さんのことを……」。 「おん厄、払いましょう、厄払い!」 雪がしんしんと降っている、暗い江戸の町を二人は歩く。 「今、何を言いかけたの」。 一丁の駕籠が来て、「何を言いかけたの…」、駕籠の垂れが下り、「麹町までやって下さい」。 鶴次郎は、答えられずに帰っていく。 鶴次郎さんは、何を言おうとしたんだろう、お美代はずっと考えていた。

 ねえ善さん、お前さんにもずいぶん世話になったね、もうすぐ2月15日だ、ありがとう。