福沢のロニ宛の手紙3・4、英文5・62016/04/22 06:40

ロニ宛福沢諭吉書簡 3 『書簡集』第1巻22頁~24頁(1862年8月16日 (文久2年7月21日)付 於:ペテルブルグ  【ベルリンからの来信に答え、 パリでの再会を期待する】 1)交流→「実ニ欧羅巴中唯一人ノ良友good frie [n]dト思へり」 2)新聞紙への関心→「君ノ新聞紙ノ社中ニ加ハリタク思 ヒマス」⇒情報の重要性、マス・メディアが有効な手段であることに気付いた。  「西航記」和暦3月19日「「ロニ」云、去年魯西亜の軍艦対馬に至り已に其全 島を取れりと聞けり、信なりやと。余其浮説なることを説弁せしに、翌日新聞 紙を持来り、昨日の話、魯西亜の対馬を取たるは全く虚説なることを此紙に記 して世上に布告したりと云へり。」  ロニの福沢宛書簡は見つかっていない。 福沢は来信を捨てた(り包み紙に した)とみられ、確認されている来信は100通に満たない(と、馬場は聞いた ように思う?)。

ロニ宛福沢諭吉書簡 4 『書簡集』第1巻25頁~26頁(1862年8月30 日(文久2年7月21日)付 於:パリ 【パリ到着を知らせ、ホテルへの来訪 を要望する】 差出人は福沢、箕作秋坪、松木弘安、川崎道民、太田源三郎の 連名。 本文は福沢の筆跡、署名は各自が自署。 随行員の任務は、本務の通 詞に加えて、「外国之事情」の「探索」があった。(器械・武器・金銀貨等の製 造法+政治・教育・軍事制度) 「西航手帳」には、ロンドンで売春婦が増え ていること、廃止の方法や対策も書いている。(西澤直子著『福澤諭吉と女性』 37頁)

ロニ宛福沢諭吉書簡 英文 5 『書簡集』第1巻26頁~28頁(1862年10 月20日(文久2年閏8月27日)付 於:リスボン 【第二次東禅寺事件を知 らせてくれたことを謝す】 書き出し部分を引くと(原文のまま)「Dear friend 羅尼君江 How was my gladness, when we arrived at Lissabon. I have received at first the letter from my best Europesh friend M. Leon de Rosny. I am very much obliged for your kindness and I see you are not only the good friend of me but an hearty lover of Japan. I wish and can assure you will keep always the same feelings.」「Your upright friend Foucousawa Youkichy」第二次東禅寺事件は5月29日(洋暦6月26日)信州松本藩士がイ ギリス代理公使ニールを襲撃した事件。 その報道が8月14日にフランス政 府に到達した結果、フランス政府は使節団に対する態度をそれまでとは一変さ せ、使節団がリスボンに向かう際にはひどく冷淡になった。

ロニ宛福沢諭吉書簡 英文 6 『書簡集』第1巻28頁~30頁(1862年12 月18日(文久2年10月27日)付 於:セイロン島ガル 【アレキサンドリア 以後の船旅の様子を知らせる】 スエズ、アデンを経て、ここガルに着いた。  一部を引く(原文のまま)「On board I have not much official busyness to do, so I am now studing the French every day but in embrassment to understand it.」「your upright friend Foucousawa Ukiti」⇒その後のロニと 福沢、交流がないのは福沢の繁忙化と1871(明治4)年までの4回の転居のた めか。