「智識見聞の領域を広くする」2016/04/23 06:21

西澤直子慶應義塾福澤センター教授の講演「レオン・ド・ロニと福澤諭吉― ロニアルバムの手紙から」の結末部分に触れておく。 福沢の文久遣欧使節団 での訪欧体験の影響の大きさは、中津藩の用人・島津祐太郎宛の書簡に表われ ている。 『書簡集』第1巻13~14頁(1862年5月9日(文久2年4月11 日)付 「先ツ当今之急務ハ富国強兵ニ御坐候。富国強兵之本ハ人物を養育(洋 学で)すること専務ニ存候」 学校や病院など生活の中で発達した文明を知る。 ⇒帰国後、慶應義塾を近代的な学校組織とするための努力。(入社帳、勤惰表、 カリキュラム)

 近代社会論への出発。 1)幅広い見聞⇒広い視野で総合的に物事を考える。  この講演は故松原秀一さんの先行研究「レオン・ド・ロニ略伝」(『近代日本研 究』第3巻)等を参考にしている。 「略伝」18~19頁に、封建制度下の職分 の違い、いかに箱に詰められた社会であったかを示す、絵入り週刊誌『イリュ ストラシヨン』の記事がある。 (主大使・竹内下野守保徳 次席大使・松平 石見守康直 書記(目付)・京極能登守高朗)が、周囲にある物にまったく興味 を示さないことに特に驚き、「この人達をホテルから外出する気にさせるのは非 常に難しい。」 一方、福沢たちは、何でも見聞し、何でも学ぶ必要があると感 じ、実行した。 福沢はロニによって新しい学問にも出会った。 例えば、ア メリカおよび東洋民族誌学会、福沢はその会員になっている。  2)情報網の広がり⇒幕臣・他藩士・外国人との情報交換。 マスメディア への関心。 情報が重要なことを認識し、それをどう消化し、自分の中でまと めていくかを考える。

 『学問のすゝめ』第2編 「学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有 形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文。地理、窮理、 化学等は形ある学問なり。何れにても皆、智識見聞の領域を広くして、物事の 道理を弁え、人たる者の職分を知ることなり。智識見聞を開くためには、或は 人の言を聞き、或は自から工夫を運らし、或は書物をも読まざるべからず。故 に学問には文字を知ること必用なれども、古来世の人の思う如く、唯文字を読 むのみを以て学問とするは大なる心得違なり。」

 福沢諭吉にとってのロニ。 渡欧体験は、文明の発展を身近に感じる機会で あり、「百聞は一見に如かず」、見聞による知識の定着があった。 ロニは1863 年5月5日の日本語講座開講演説で、こう述べている(松原秀一「略伝」40~ 41頁)。 「大君の使節はヨーロッパ各国の現状を類いまれな洞察と繊細な評 価力で探求していきましたが、多分、日本の程遠くない変化に大きな役割を演 じることでしょう。この使節のメンバーの一人は二度目にフランスを離れる直 前に「我々の国にどれ程自由が欠けているかと考えるともう眠れないのです」 と打ち明けました……より良き未来への熱い信頼に加えて彼の心の奥深く高貴 な熱情の種が植え込まれているのです。この情熱こそ、パリであれ江戸であれ、 人々を偉大な国民にするのです。」