「大連立構想」を仕掛け、一歩手前まで2021/09/02 07:00

 小泉純一郎政権は、2006(平成18)年9月まで5年間続いた。 その反作用で政治は流動化、2007(平成19)年の参院選で、自民党(安倍晋三首相)は大敗、ねじれ現象が起きた。 安倍辞任で、政権交代がささやかれる。 渡辺恒雄さんは、自民党福田康夫首相と民主党小沢一郎との「大連立」を構想、社説でも主張した。 ある人(初めて明かすが、大蔵省で十年に一人の大物次官と言われた斎藤次郎。小沢の信頼を受けていた)を介して、小沢一郎と接触した。 当時、断崖絶壁内閣と言われた福田康夫はインタビューに答え、渡辺さんからアドバイスがあって、こちらも森喜朗に仲介を頼み、パレスホテルの地下で、森が小沢一郎に会って粗ごなしの話をした。 小沢は、民主党の議員はほとんど政府、行政官庁の仕事をしたことがない、総選挙を心配する者もいるが、ドイツでは連立でやっている、と。 2007(平成19)年11月の党首会談が実現、日本の政治を進めるために、閣僚も自民何人、民主何人と「阿吽の呼吸」で話をした。 「大連立」は順調に進むと思われたが、福田は小沢が党内をまとめきれるのかと、チラッと思ったという。 小沢は、一番ポイントになったのは、国連を中心とした安保政策だった、と。 渡辺さんは、「日本の政局を何とか打開しなければ」という二人の政治家らしい、政治家のいいところが出た、と話した。

 小沢は一旦民主党に帰って役員会、みんな反対、反対。 小沢は、その時は断念した、民主党に入って間もない頃だったので、と。

 福田康夫は、成功していれば、まったく違う政治風景になっただろう、低成長の中で質の高い生活をいかに送るか、考えなければならない時代で、転換点にしたい思いがあった、小沢も惜しい機会を逸した、と。

 御厨貴東大名誉教授は、渡辺さんが最後まで仕切れば、「大連立」は成功しただろう。 しかし、渡辺さんが仲介していることは、すでにメディアに知られていて、一種の「有名税」で、直接手を入れることができない。

 「フィクサー」と言われるが、と聞く大越健介に、渡辺さんは、目の前で馬鹿な事をやっていると、いろいろ忠告したくなる、ちょっと抜けてますよ、こういう考え方もある、こういう人に会ったほうがいい、とか。 権力との距離感は難しい、書ける材料が入って来る、プラスにはなるのだが、と。

 「大連立劇」、渡辺の動きが表に現れた、最大で最後のものになった、と、加賀美幸子アナの語り。

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