「南部仏印進駐の誤算」2022/01/10 07:13

 分岐点[3]は7月28日、「南部仏印進駐の誤算」。 これより先、第二次世界大戦の緒戦、ドイツが破竹の勢いでヨーロッパを席巻、1940年6月にはフランスのパリを占領、7月には対独協力のヴィシー政府が成立した。 北部仏印の宗主国フランスの政府は、日本とは防共協定(1936年に締結)で結ばれたドイツの傀儡政権だったので、1940年9月23日、日本軍は北部仏印に進駐していた。

 南進派は、南部仏印に進駐といってもフランス領内の移動に過ぎないとして、アメリカが強い報復措置に出ることはないだろうと、考えていた。 しかし、アメリカは7月25日には在米日本資産の凍結を断行し、8月1日には石油の対日全面禁輸を実行したのだ。 これは日本側の想像を超えた強硬な措置だった。 資産凍結が日本経済に打撃を与えるのは確実であり、何よりも、使用量の9割までをアメリカからの輸入に頼っていた石油が全面禁輸となっては、戦争継続はおろか、日本の民間産業や国民生活そのものまで早晩たちゆかなくなるからだ。 その衝撃は甚大で、石油を断たれて追い詰められる前に起つべきだ、アメリカとの戦争を始めるべきだという早期開戦論が、軍部はもとより国民の間にも満ちてくる。