明治9年末執筆の『分権論』 ― 2022/01/30 07:45
③明治9年末執筆の『分権論』(『福沢諭吉選集』第5巻6頁)。 地方自治の政体論。 明治9年10月の士族の反乱(神風連の乱、萩の乱、秋月の乱)が契機、士族の国事に関する気力を再評価。 士族をまず、維新政府の役人、在野の開化派(民権家)、守旧派の三者に分類し、この相互対立によって反乱が起きているとしたうえで、これを力によって撲滅するより、士族の方向を一(いつ)にし、これを「変形」して「改進」に導くべきだと主張した。 この「変形」の方策として提示されたのが地方分権であり、「国権」を「政権」(立法、軍事、外交、徴税、貨幣鋳造など)と、「治権」(警察、道路・橋梁・堤防の営繕、学校・社寺、衛生など)に分け、「政権」を中央集権化し、「治権」を地方ごとの事情に応じて実施すべきだとした。 地方に出来ることは地方にとし、「治権」を士族層が担うことを提案した。
そこで参照されたのが、スペンサーの『第一原理』やトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(初めは小幡篤次郎から教わる)などだった。 中央の政府が「政権」を、地方の人民が「治権」をとり、相互に助け合ってこそ国家の安定が維持できる。 こうした地方自治や中央地方関係が良好な国として英米を念頭に置き、西欧の自治都市にみられるミドル・クラスに該当する存在として期待したのが、士族であった。
『分権論』は、福沢が初めて日本の政体論として示した画期的なものだった。 国内情勢の変化に応じて、新しい見立てを提示したもので、論理内在的発展として評価したい。
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