岩崎小彌太の第一句集『巨陶集』2023/03/03 07:06

 そして「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」展には、岩崎小彌太の私家版句集『巨陶集』(昭和11(1936)年)、『早梅』(昭和19(1944)年)が展示してあった。 57歳の時の『巨陶集』表紙は侘助の絵で、安田靫彦の紙本着色の≪侘助≫も展示されていた。 これも展示の高浜虚子の短冊、<身みずから白わびすけを生けむとす>(?)は、『巨陶集』の序文中にある、小彌太の侘助の句に対する挨拶句だったかと思う。(不確か。お分かりの方は教えて下さい。)

 宮川隆泰さんの「志高く、思いは遠く―岩崎小彌太物語 VOL.14俳句・岩崎巨陶」に、岩崎小彌太の句がある。 『巨陶集』冒頭の句は、昭和5年の作。 いずれも別邸のあった箱根の芦の湖畔で詠んだもの。
山の上の湖青し雲の峰
秋近し雲の上なる雲の峰
名月や濁ることなき芦の湖
南に見下ろす湖や星祭
四山よくこだまを返す花火かな
秋晴れや昂然として丘にたつ

 時代は昭和初期、その切片も詠み込まれている。
ルックサック負うて女や雲の峰
対岸のキャンプなお在り今朝の秋
職もなく佇む人や枯柳
事多き身には恋しき枯野かな

 小彌太はまた、京都の風情をこよなく愛した。
京言葉耳に楽しや春の宿
春雨の傘かしげ見る東山
京うれし春雨傘のさしどころ
たれも来よかれも来れと桜狩
しみじみと聴き入る鐘や京の秋

 昭和6年晩秋、小彌太は病が癒えて、全快の喜びを詠んだ。
黄菊白菊一度に咲きし思いかな

この中で、私が思ったこと。 <秋晴れや昂然として丘にたつ>は、高浜虚子、大正2(1913)年の作<春風や闘志いだきて丘にたつ>を踏まえているのだろう。 河東碧梧桐の新傾向に反対して、虚子が散文の世界から俳壇に復活した時の決意の句、間もなく、『ホトトギス』の雑詠に多くの作家が集まり、『ホトトギス』は第一次黄金期を迎える。 岩崎小彌太は、世界大恐慌の影響を受けた社業に、何か新たな気持を持って、向かい合おうとしたのだろうか。