ビュッフェは何時ビュフェになったのか2009/06/18 07:21

ビュフェ美術館のあるクレマチスの丘の原種のクレマチス(鉄線)

 グッドタイミングなことに、たまたま7日放送の日曜美術館は「黒い線の行 方 ベルナール・ビュフェ」だった(ゲストは作家の藤田宣永さん)。 それを 見るまで、私は「ビュッフェ」が「ビュフェ」と表記されるようになっていた ことを、知らなかった。 いったい「ビュッフェ」は何時から「ビュフェ」に なったのか? 確かこの美術館だって、初めは「ベルナール・ビュッフェ美術 館」だったはずだ。 学芸員さんに訊くと、何時からということは言わずに、 フランス語の発音に近い表記にしていますから、ということだった。

 『ビュフェ美術館鑑賞ガイド』の巻末に「主要参考文献」一覧がある。 展 覧会のカタログで、きのう書いた1963年の国立近代美術館(日本経済新聞社) は『ビュッフェ展:その芸術の全貌』、1995年の北海道立函館美術館ほか(谷口 事務所)は『ビュッフェ展』だったのに対し、2000年の福岡県立美術館(朝日 新聞社)は『ビュフェ追悼展』となっている。

 1999年10月4日、71歳のベルナール・ビュッフェは、サン=トロペを山側 へ入ったトゥールトゥールという小さな村のはずれにある、敷地56万平米の ラ・ボームという自宅で自殺した。 その頃から、「ビュッフェ」は「ビュフェ」 になったのであろうか。 福澤諭吉協会一行がベルナール・ビュフェ美術館で 見たのは、この美術館を何度も訪れたビュッフェが、1996年67歳の最後の来館時に自身で展 示の配置(新館部分?)を決めたのと、まったく同じように展示された「没後 10年 ベルナール・ビュフェ展」(7/14まで)だった。