歌武蔵の「蛇含草」2009/06/01 07:13

 毎度言うが、歌武蔵の出の同じ台詞は、いい加減にやめてもらいたいと思う。  客の記憶力に信をおかない性格なのか、死ななければ直らないのか。

 大きな身体で、普通の人なら二反で出来る着物と羽織に、三反要るという。  飛行機のエコノミークラスの椅子に、座るというより、はまる感じ。 機内食 を置くテーブルも、向こう側に傾斜したままで、飲み物は穴に入らないから、 手に持って、飲み切らなければならない。

 高速バスに夫婦ものが乗っている。 南側の陽の当る席で、あまりの暑さに 奥さんがノドの乾きを訴えるが、ノン・ストップだ。 そばの男が、氷のカチ ワリでよければ、とクーラーボックスから出してくれた。 ヂュル、ヂュルと、 ノドを潤し、有難い、助かった。 もう一つ、もう一つと、七つ目になった時、 その男、「あげるのは、いいのだけれど、中の猫の死骸が向うに着くまで、持つ かどうか」

 虫除けのまじないだと隠居が家に吊るしている「蛇含草」、ウワバミが何かを まるごと呑んで、この草をなめると呑んだものが溶けると聞いて、甚平を着た 男が半分譲ってもらう。 火が熾きていて、越後から来た夏場の餅を焼こうと すると、男は五、六十なら朝飯前だという。 せわしなく餅を食う歌武蔵の顔 が、見せ所だ。 ブルドックの如し。 いろいろな芸当で、餅を食う。 鯉の 滝登りの餅、ブランコの餅、左の脇の下から背中を回す、淀の川瀬の水車(み ずぐるま)の餅(拍手を要求する)。 あとは、「そば清」(「蕎麦の羽織」)と同 じ展開。

 終演後、オチケン出身の友人は、痩身ながら一言で「歌武蔵の「蛇含草」は 汚い」と、押し倒した。

歌丸の「藁人形」2009/06/02 07:09

 この日は、「四宿(ししゅく)」の説明が二回出た。 「藁人形」の千住と、 「品川心中」の品川。 ほかに板橋と新宿で「四宿」、吉原が天下御免、つまり 公認の遊廓なのに対し、「四宿」は岡場所と呼ばれ、宿場で飯盛女の名目で遊女 営業をすることが黙認されていた。 一番の売れっ妓を、吉原では「お職」と 言ったが、四宿では「板頭(いたがしら)」、こういうのは学校では教えない、 寄席の教養だ。

 千住は小塚原の刑場があったことから「コツ」と呼ばれた。 コツの若松屋 の板頭で、おくまという海千山千、里に千年、三千年の甲羅を経た女郎がいた。 千住の河原に西念という坊さんがいて、毎日浅草の観音様まで観音経を読んで 喜捨を受けながら往復する。 お父っつあんの命日だから供養にと、西念を呼 び込んで経を読んでもらったおくまは、飯と酒を振舞い、西念が六十六と聞く と、死んだ父親と同じ歳だ、贔屓にしてくれている旦那に、来月身請けをし、 駒形に絵草子屋の店でもやったらどうだと、言われている。 堅気になったら、 父親そっくりの西念を引き取って、面倒をみたい、などと言って、もう一本つ け、お鳥目までくれる。

 二三日後、おくまはどこか金を貸してくれるところはないかと尋ね、絵草子 屋の手付けが必要なのだが、旦那が田舎から帰るのが来月になる、と言う。 西 念は永年かかって貯めこんだ三十両を、縁の下から掘り出して、利子はいらな いと貸す 。  あくる日から四日間どしゃぶりの雨、衣を質に食いつないだ西念、六日目に おくまの所に少し融通してもらいに行くと、けんもほろろ、金を借りた覚えは ない、あれは朋輩と騙せるかの賭けをして、巻き上げた金、もらった金だと、 いう。  長屋の雨戸を閉めて、一歩も外に出ず、患っているのか、うなっている西念、 まわりで心配している所に、甥の甚吉が訪ねてくる。 見てはいけないという 鍋の中で、油で煮えていたのは藁人形。 三味線が入って、芝居がかりで一通 りの物語。 藁人形なら何で五寸釘じゃあないのか、と聞く甚吉に、西念「あ の女は、たしか糠屋の娘だ」

 客をしんみりとした物語世界に引き込んでおいて、最後に軽くうっちゃろう という、この噺の仕掛けは、歌丸の柄に向いているように思われた。

小満んの「宮戸川」2009/06/03 07:22

 柳家小満ん、去年の9月30日の第483回で、「盃の殿様」を演ったのを、ひ さしぶりに見て「ずいぶん、年を取った(調べてみたら、私より一つ下)。 そ して、上手くなっていた。 桂文楽門下で、桂小勇といったが、師の死去で小 さんの門下に移り、昭和50(1975)年(私が短信を始めた年)柳家小満んで 真打になっている。」と、書いた。

 「宮戸川」でも、実に味のある、いい噺家になったことを証明した。 昔は、 大看板ではないけれど、脇をしっかり固める、こういう噺家がいたものだ。 と きどきはさむ、薀蓄やくすぐりの、気が利いていて、なんとなく可笑しいとこ ろが、いい。

 最近は女性がなかなか結婚しないようになったが、昔は、二十で年増、三十 で中年増、四十で大年増と言った。 今は、七掛けにして、三十なら3×7=二 十一、四十でも4×7=二十八で昔の中年増、お気を確かにお持ちください、と。  それでも潮時というものがあり、妥協も大事なので、心細い中年男性に愛の手 を!

神無月で、神様がみんな出雲に行った留守に、常陸の国、鹿島神社の別宮に ある要石が押さえつけているナマズが動き出す心配がある。 安政2年10月2 日、マグニチュード7.1の江戸直下型の大地震は、その心配が本当になった。  神無月に留守番をするのが恵比寿様、「神無月三郎殿が留守居役」、恵比寿様は いざなぎ・いざなみ二神の三男だったという。 商家では10月20日に、恵比 寿講をやり、親類やご近所を招いて飲み食いをしたり、茶番をやったりする。  この前置きが、あとで、お花が半ちゃんの霊岸島のおじさんにお目にかかった ことがある、恵比寿講で歌を歌ったのを聞いた、につながる。

今は爺さん、婆さんになった、霊岸島のおじさん、おばさんの、安政2年の そも馴れ初めの話が可笑しい。 花カルタで遅くなって家を閉め出されたお花 が、むりやり半七について来たのを、早合点したおじさん「野郎、そろそろ、 安政2年に取り掛かりやがった」と言う。

志ん輔の「品川心中」(上)2009/06/04 07:09

 品川は、いっときは吉原の向うを張るほど、盛んだった。 吉原と四宿、「お 職」と「板頭」のほかに、源氏名が吉原だと高尾、喜瀬川、柏木なんていうの に、宿場だと、お染、お久、お福、のような普通の名前だった(志ん輔はここ でチラと横を向き、お囃子さんの名前をいえば、間違いがないと)。

 かつては「板頭」だったお染、年齢(とし)には敵わない、くしゃみをする と洟も一緒に出るようになって、売れなくなる。 この社会には「紋日」とい うのがあって、「移り替え」といって単衣もんから袷に移り替えるのに、ご馳走 をしたり、祝儀を出したり、シャンシャンシャンとお披露目をするから、金が かかる。 下の者に抜かれて、馬鹿にされ、どうにもならず、玉(ぎょく)帳 をめくって、心中の相手を探す。 いたいた、どうでもいいのが…、中橋から 来る、貸本屋(ほんや)の金蔵。 「相談したいことがある」と手紙を書くと、 やって来る。 四十両要ると話すと、「一緒に死んでやるよ、金がないもん」と なる。

 翌日、土地の親分に暇乞いをして、再びやって来た金蔵、あの世に勘定は取 りに来ないと、派手に飲み食いして、鼻提灯の高いびき。 大引け過ぎに起こ すと、用意した短刀を親分の所に忘れ、お染の用意した剃刀では血が出るから イヤだ、きれいに死のうと裏の海へ。 桟橋で、「押すなよ」と、スローモーシ ョンで泳ぐように、「桟橋は長いよ」「命は短いよ」。 金蔵が飛び込んだところへ、 「金なら出来たよ」と若い衆、お染を止める。 「誰? バカ金、いいよ、あ んなの」「金さん、いきなり飛び込んじゃうんだもの。私、もうちょっとやりた いことがある。ごめんなさいね。じゃあ失礼」

 死んだと思った金蔵、実は品川は遠浅で、水は膝まで、鼻からダボハゼが出 た。 雁木を伝って、八つ山へ。 犬の町内送りになって、親分の家へ。 表 の戸を閉め、車座になって、何かやっていた。 戸をどんどん叩き、犬の吠え 声もする。 手入れだ、と明かりを消して、芝居のだんまりのようになってか らのドタバタが、「品川心中」(上)の聴かせ所。 志ん輔のそれ、十分楽しむ ことができた。

江藤新平と、近代的裁判の始まり2009/06/05 06:50

 5月27日の夕方NHK総合テレビをつけたら、渡邊あゆみアナが花魁みたい な着物を着て「歴史秘話ヒストリア」というのをやっていた。 4月から水曜 日の夜11時に放送している番組のようだが、知らなかった。 第7回「裁判 はじめて物語」~明治の人々はどうしたの?~、江藤新平が司法卿として活躍 し、佐賀の乱で非業の死をとげるまで。 江藤新平って、大変な人だったんだ …、と知らないことが多く、途中からだったが食い入るように見てしまった。

 『広辞苑』の江藤新平(1834~1874)。政治家。佐賀藩士、幕末、志士とし て活動。 維新政府の司法卿となり、改定律例を制定。のち、参議。征韓論政 変で、下野。板垣退助らと民撰議院設立を建白した直後、佐賀の乱を起し、処 刑。

 番組ホームページの概説によると、私が見ていなかった「エピソード1」は、 こうだ。 「日本で初めて近代的な裁判の制度を確立した江藤新平。その出発 点は自分の身を襲った暗殺未遂事件だった。江藤は、法を整備し、犯罪を取り 締まり、裁判を行う組織、司法省を設立し、これまでの“お上が民を裁く”と いう考え方から“民の権利を守るための裁き”へと人々の意識の転換を図る。 明治4年、裁判所が作られ、初めての近代的裁判が始まった」