民衆が役人を訴えられる通達2009/06/06 06:44

 1872(明治5)年、江藤新平司法卿は、民衆が役人を訴えることが出来ると いう画期的な通達「司法省達第46号」を出す。 尾去沢銅山事件というもの があった。 この通達を知った東北の豪商、南部鍵屋・村井茂兵衛は、大蔵省 に奪われた尾去沢銅山を取り戻すための裁判を起こす。 4年前、村井家の襖 の下張りから、当時の裁判記録が発見されて、民衆が国の役人を訴えた事件の 顛末が明らかになった。

 尾去沢銅山は現在の秋田県鹿角市にあり、江戸初期から採掘され、南部の鍵 屋・村井家が経営していた。 豪商村井家は南部藩に多額の金を貸していたが、 (以前、「知る楽」朝倉喬嗣「野望の錬金術―百年の興亡」で見た記憶によると) その証文は藩から鍵屋に貸し付けた形式にするのが、当時の習慣だった。 藩 は、商人から借金などしないという建前で…。 そこに目をつけたのが大蔵省 の井上馨(長州閥)で、明治4年、証文をたてに、村井家に返済を迫り、返済 が出来ないと、尾去沢銅山を差し押さえ、競売して私物化を図った。

 村井茂兵衛は、これを司法省に訴え、裁判が始まる。 江藤新平司法卿は、 井上の逮捕を求めるが、長州閥の抵抗でかなわなかった、 長州閥の実力者で ある井上馨は、裁判をうやむやにしようと画策する。 結局、井上馨は判決で 30円の罰金を払い、大蔵大輔を辞職しただけで、銅山が村井家に返ってくるこ とはなかった。 このごたごたで村井茂兵衛は憤死したという。