人生(人間)五十年、化天か下天か ― 2011/03/26 06:33
織田信長は「人生五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と、謡 い舞ったという。 私は50年も福沢をかじりながら、暮に出た『福澤諭吉事 典』を見て、觔斗雲に乗って、十万八千里をひとっ飛びしたつもりになっても、 お釈迦様の手の内にいたという『西遊記』の孫悟空の気分になった、と書いた。 「雑学五十年、『福澤事典』に比ぶれば、馬鹿丸出しの如くなり」
織田信長が謡い舞ったのは、幸若舞の「敦盛」の一節だそうである。 熊谷 直実が年若い平敦盛を討って無常を感じ仏門に入ったという話だ。 「思へば この世は常の住み家にあらず/草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし/ 金谷に花を詠じ、栄花は先だつて無常の風に誘はるる/南楼の月を弄ぶ輩も、 月に先だつ有為の雲にかくれり」につづいて、「人間(じんかん)五十年、化天 のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり/一度生を享け、滅せぬもののあるべきか /これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」と謡う。
「人間五十年」は、人の世の意。 「化天」というのは、六欲天の第五位の 世である化楽天のことだそうだ。 (ここで「六欲天」は、仏教で三界のうち の欲界の六天で、すなわち四王天・忉利(とうり)天・夜摩天・兜率(とそつ) 天・化楽天・他化(たけ)自在天。 「三界」は、一切衆生(しゅじょう)の 生死輪廻する三種の世界、すなわち欲界・色界(しきかい)・無色界。) 「化 天」=「化楽天」の一昼夜は人間界の800年にあたり、「化天」住人の定命は 8,000歳とされる。
『信長公記』では「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」 と「下天」になっているという。 「下天」は、六欲天の第六位の世、つまり 「他化自在天」のことのようで、欲界の最高所、この天に生まれたものは他人 の楽事を自由自在に自己の楽として受用するからこういうらしい。 「下天」 の世は、一昼夜は人間界の50年にあたり、住人の定命は500歳とされる。 「人 間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳 月は、下天の一日にしかあたらない」という意味だそうだ。 と、すると「人の世の50年の歳月は、『化天』の一時間半にしかあたらない」 という勘定になろうか。
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