「西岡秀雄先生 お別れの会」2011/10/07 04:37

 10月1日の土曜日、慶應三田キャンパスで、文化地理研究会三田会有志の会 の皆様のお世話により、8月1日に97歳で亡くなられた西岡秀雄先生の「お別 れの会」が開かれた。 ご長男の西岡信雄さん、長く先生の秘書を務められた谷 珠得孔さんに、昭和30年卒から昭和43年卒までの文化地理研究会メンバー106 名が参加した。 第一校舎101教室での「お別れの会」の後は、南校舎4階「ザ・ カフェテリア」でカレーライスの昼食と歓談をした。 ほとんどが約50年ぶり の、懐かしい先輩方や若干の後輩達にお目にかかることができた。

 「お別れの会」では、西岡信雄さんのご挨拶と、谷珠得孔さんから先生の晩年 についてのお話があった後、「追悼の言葉」を先輩と若手ということで二名が述 べた。 同期の代表だった加藤隆康君が司会進行役だったため、「若手」のお鉢 が私に回ってきた。

 西岡秀雄先生は、何にでも興味を抱いて面白がる旺盛な好奇心、そしてユーモ アを尊ぶ気持をお持ちの方であった。 その影響は、この<小人閑居日記>に 色濃いのかもしれない。 私は8月19日の<小人閑居日記>「西岡秀雄先生、 「ありがとうございました」」に書いたようなことを、訥々と述べさせていただ いたのだが、そのマクラに振った部分だけを、紹介させて頂く。

 「昭和39年卒の馬場紘二でございます。 このお別れの会を企画し、準備し てくださった有志の会の皆様方にお礼を申し上げます。 たくさんの先輩諸兄姉 がいらっしゃる中で、(この「諸兄姉」という言葉も文化地理研究会で教えてい ただいた言葉でした…)まことに僭越ですが、若手のほうからも一人ということ でお話がありましたので、追悼の言葉を述べさせていただきます。 だいぶハゲ ておりますが、若手でございます。  「幻の門」という応援歌がありました。  「幻の門」も今は幻となっておりまして、二、三年下にいた銭高さんの、あの建 物が建っております。 「幻の門こゝすぎて 叡智の丘に我等立つ 三色の旗ひ らめけば 黒髪風に薫じつゝ つどう若人一万余」 あの頃、風に薫じさせてい た黒髪は現在、見る影もない状態となりました。 当時、経済評論家の三鬼陽之 助さんという人がカッパブックスで『慶應義塾』という本を出しました。 その 副題が忘れられません。 「その退潮も時の流れか…」」