「初鴨」と「無花果」の句会2011/10/16 05:06

 13日は「夏潮」渋谷句会だった。 3月に東日本大震災の起きた影響があっ て、会場を求めて、さすらいの渋谷句会となったが、1月以来、久しぶりの並 木橋・渋谷区リフレッシュ氷川での開催となった。 兼題は「初鴨」と「無花 果(いちじく)」、私は次の七句を出した。

母好みし無花果妻も好きと言ふ

無花果は裏のお家の中庭に

無花果のじやりじやりしたる甘さかな

無花果の焼物めきし肌の艶

奥琵琶の仏の里に鴨来る

初鴨のお濠に一二三四五

初鴨のまだロシア語を話すらし

 芥川龍之介の『侏儒の言葉』に、「瑣事」という題で、こんなのがあった。 私 が「初鴨」と「無花果」をつくるのに、苦しんだかといえば、否、……微妙で ある。

         瑣 事

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹 の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘 露味を感じなければならぬ。

 人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しま なければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破つたであらう。が、 古池を飛び出した蛙は百年の愁を与へたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享 楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為 には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、 竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛 を感じなければならぬ。