「浜で待機する女」の子供時代 ― 2012/07/16 02:05
そういえば、家族で海水浴に行くと、母だけが海に入らず、服を着たままビ ーチ・パラソルの下に座って、われわれが海で遊んでいるのを見ているという ようなことがあった。 母は30代から40代にかけての頃だったろう。 小池 昌代さんの「波を待って」の亜子は、ここ数年、夏ごとに、家族三人でこの浜 辺に来ている。 今は「浜で待機する女」となって、本を片手に、長椅子に寝 そべっている。 五十半ばの夫は、ここ三年ぐらい波の面白さにとりつかれて いて、サーフボードを持って、沖に出ている。 子供は、亜子のそばで砂山を つくっている。
その亜子の独白と回想。
「わたしって誰? 浜辺に来ると、わからなくなる。わからなくなるし、どう でもよくなる。わたしは遠くない日に、いつか死ぬ。ここにいるひともすべて 死ぬ。浜辺に来ると、それがわかる。
「あんたって、いるのかいないのか、わからないわね」
子供のころは、だれかれとなく、亜子のことをそう評した。おとなしくて、 思ったことや感じたことを口に出して表現できない子供だった。そうした子供 は感受性が豊かで、内面が活性化しているのだ、とよく言われるが、亜子はと りたてて、なにかを書いたり描いたりするわけでもなく、ただ、ぼんやりとし て目立たなかった。自分のなかに自分がぴったりと閉じ込められており、一歩 も外へ出られない、そして他者と自在に交われない。そういういわば幽閉状況 が亜子の子供時代であった。苦しかった。でも子供のときは、生きることはそ ういうものかと思っていた。」
おそらく、これは小池昌代さんご自身の子供時代なのだろう。 ここを読ん で、私は自分の子供の頃を思い出した。 内気だった。 よく座敷用の大きな 堅木のテーブルの下に、もぐっていた。 その一人だけの空間にいると、何と なく安心なのであった。 父はこの内気な次男坊の行く末を案じて、ある時、 仕事で知り合った大学の先生に相談した。 その先生は、心配ないと答え、「内 気は個性を守る宝だ」と言った。 問題の少年は、その一部始終を聞いて、ち ゃんと知っていた。
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