土方定一のおかげ、若き日に欧州の旅 ― 2013/06/20 06:29
酒井忠康さんの、土方定一館長についての話の続き。 土方定一で入手しや すいのは『日本の近代美術』(岩波文庫・2010年)。 土方には、7~8年付い て歩いて、その家族と食事にも行った。 若くてきれいな二度目の奥さん(自 分より7、8歳上)に子供が二人いた。 自分と奥さんが夫婦で、土方がお祖 父さんと見られるのが、土方には釈然としない様子だった。 だから店には、 一番後から入るようにして、奥さんの弟に見られるようにした。
「海外へ行ってらっしゃい」と、封筒をくれた。 80万円入っていた。 ベ ルギーからの招喚状があり、神奈川県にも有給扱いの処理をしてくれていた。 シベリア経由でヨーロッパへ行った。 横浜から船で立ったが、津軽海峡が大 荒れで吐き、死ぬかと思った。 ハバロフスクからは、何とか飛行機でモスク ワへ。 封印列車(知らなかったので調べると、途中乗り降りが禁止された列 車。ドイツが、ロシアでの混乱を拡大させる目的でレーニンを送り込んだのが 有名。)と、反対方向でウィーンへ。 途中ワルシャワ駅で、広軌と狭軌の変更 に、車体ごと持ち上げて取り替えた。
イギリスのロンドンに着くと、郵便ストで動きが取れず、アイルランドなら 海外と連絡が取れるというので、土方の影響でIRA(アイルランド共和軍…武 力による南北統一を唱える)の研究をしていたこともあり、アイルランドへ。 ダブリン、二階バスは赤でなくグリーンとすみれ色のツートンカラー、ポスト は緑色、何でもイギリスに抵抗している。 北アイルランドのベルファストは、 危険な状況で、夜間、街角の壁が白く塗られている、狙撃するためだ。 フラ ンシス・ベーコンの作品をアルスター・ミュージアムで見た時は、震えた。 ベ ーコンは、イギリスの画家というが、アイルランドの画家だ。 スウィフトも、 イェーツも、ヘンリー・ムーア(三代前は)もアイルランドで、イギリスで一 括りせずに、丁寧にみる必要がある。
若い時に旅をすると、年を取ってから、物語りすることが出来る。 小田実 (まこと)の『何でも見てやろう』に熱中した年代だ。 親しくしてもらった 『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波新書)の岡村昭彦は、アイルランドにも関心 を持っていた。
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