“ジェネラル鎌田”の「国民外交」2015/08/02 06:57

 “ジェネラル鎌田”というのは、(石井正紀著『陸軍員外学生 東京帝国大学 に学んだ陸軍のエリートたち』(潮書房光人社)にくわしいようだが)陸軍省人 事局長が、陸軍省はどうせ改変されて復員省になり解体されてしまうのだから と、マッカーサー応対委員長の有末精三中将を大将に、副委員長の鎌田銓一中 将を元帥大将に特進する辞令を出していたかららしい。 鎌田銓一には、重大 な密命が下されていた。 「天皇制を護持せよ!」 戦前のマッカーサーとの 人脈を最大限に生かし、「戦後日本に天皇制を残すことは、国家再生のために不 可欠であることを認めさせる」ことが、鎌田に託されたミッションだった。

 9月2日、東京湾沖の米戦艦ミズリー号で、日本の降伏調印式が行われた。  その夜、GHQは三布告を実施する、と通告してきた。 公用語を英語にする、 占領軍が司法権を持つ、通貨は軍票を流通させる。 これは降伏文書に日本政 府代表として署名した外交官重光葵が、撤回させることになるのだが、その前 に鎌田銓一がサザーランド参謀総長と会い、そんなことをしたら大変な混乱が 起こると説いて、三布告の文書を破らせることで、日本の軍政化は避けられた というのだ。

 鎌田は自宅にGHQの高官を招いて、パーティーを開き、当時17歳だった息 子の勇さんにピアノでジャズなどを弾かせ、アメリカン・ジョークを連発、自 ら「国民外交」と言っていた活動を展開した。 表の外交ルートでは、吉田茂、 白洲次郎が主導して外務省が、同様の工作を進めていた。 “鎌田機関”とも 呼ばれた鎌田の活動や秘密交渉は、それとは別の、もう一つのチャンネルだっ た。 ある日、勇さんは父がダグと呼ぶ、マッカーサーらしき人物が来ている パーティーで、リストのハンガリーラプソディー6番を弾いた。 その男は勇 さんに声をかけ、天皇について、どう思うかと聞いた。 現在87歳になる勇 さんは、当時は17歳なので満足な答ができなかったと番組で語っていた。

 9月27日、昭和天皇はアメリカ大使公邸にマッカーサー総司令官を訪れる。  マッカーサーは、天皇が(当然ながら)紳士で、自分はどうなってもいいが、 国民を食わせてやってくれ、と話したことに驚き、感動する。 そして、マッ カーサーは、東京裁判で天皇を起訴しないことを決めた。 天皇を裁くことで 起る大混乱を回避し、天皇を利用して、日本を治めることが、アメリカの国益 につながると判断したのである。

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