『漱石全集』『索引』/博士号を断わる2016/10/29 06:29

      広尾短信 第44号 1976(昭和51)年5月15日

         『漱石全集』第十七巻『索引』

 岩波の十六巻本の漱石全集に第十七巻『索引』の『索引』が出来た。 この 全集は前回の昭和40年からの発行時に、一巻1,200円でそろえた。 サラリ ーマンになりたてのことで、自分の金で本らしい本を買った嬉しさは忘れられ ない。 第十七巻は2,800円だから本の値段は二倍強なのに、初任給は当時 21,000円だったのが、現在は五倍位になっている。

 「索引」で「広尾」を引いたら、明治44年5月20日の林原耕三宛の書簡に 「鈴木の渋谷の宿所は下渋谷七四広尾橋下車祥雲寺墓地の横といふ所だよ」と 鈴木三重吉らしい人の消息を伝える文句が出てきた。 祥雲寺墓地の横とは、 今私の食う寝る所住む所である。

 「慶應」は講演を断わる手紙を書いたという日記と、英語教師になれという 話を断わることにふれた小宮豊隆宛の手紙に登場するだけで、「福沢諭吉」にい たっては漱石全集十六巻に一度も現われない。

      等々力短信 第223号 1981(昭和56)年7月25日

          博士号を断った漱石の手紙

 明治44年2月21日付、夏目漱石の文部省専門学務局長福原僚二郎宛書簡。 (『漱石全集』第十五巻)「学位授与と申すと二三日前の新聞で承知した通り博 士会で小生を博士に推薦されたに就て、右博士の称号を小生に授与になる事か と存じます。 然る処小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参り ましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居り ます。 従って私は博士の学位を頂きたくないのであります。」

 当時、博士の学位はずいぶん重くみられていて、大変な名誉であった。 漱 石は、自分の意向も聞かずに、学位をやるといえば喜ぶというやり方が気にく わなかったらしい。

 漱石に聞けば、新千円札に勝手に顔を使おうとする役人なんぞ「ハイカラ野 郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ 引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴」というに違いない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック