幸運という最終講義〔昔、書いた福沢59〕2019/05/25 07:15

  幸運という最終講義<等々力短信 第626号 1993(平成5).2.5.>

 1月19日、三田の517番教室で、学生時代にゼミナールでご指導頂いた 恩師小尾恵一郎教授の最終講義を聴講した。 定刻を過ぎても、司会者など現 われない。 だれも出てこないのでと、鳥居泰彦経済学部長が立って、小尾さ んの経歴・業績の簡単な紹介と、挨拶をした。 こういうふうに、形式ばらな いのが、いかにも慶應義塾らしいところだ。 鳥居さんは、小尾さんの門下で ある。 私たちが卒論の準備をしていた頃、小尾さんがアメリカに留学してお られたので、かわりに面倒をみていただいた。

  「重層的市場理論が解明したもの」と題した最終講義は、浦島太郎のような 私には、ほとんどチンプンカンプンだった。 詳しくは、いずれ出るであろう 記録か論文集を読んでいただくとして、散文的な(つまり、理論とは関係のな い)部分で、心に残ったことを書いておきたい。 1950年に副手として経 済学部に採用された小尾さんは、43年間、俗に世間で計量経済学と呼んでい る、実証経済学、現実のデータを大量に収集し、統計的に処理して、そこに規 則性、堅牢で強固、普遍的な経済法則を見出だそうとする最先端の研究と、日 本の国の経済政策への、その応用に取り組んでこられた。

 最終講義で小尾さんは、日本経済というこの巨大な実験室のなかで、経済発 展の、発展途上と、発展後の、両方をつぶさに観測する「千載一遇」の機会に 巡り合えたのは、幸運だったといわれた。 それを聴いて、すぐ私が思い出し たのは、福沢諭吉だ。  明治維新を境として、封建と文明開化の両時代に、 ちょうどその半生の三十三年ずつを生きた福沢は「一身にして二生を経(ふ) る」の幸運を、語っていたのであった。

 学生の頃、経済学の本より前に、畑中武夫さんの『宇宙と星』(岩波新書) を読めといわれた。 自然科学も社会科学も、同じサイエンスだから、天文学 の研究の方法が、経済学にも使えるというのだった。 最終講義でも、塾祖福 沢が『文明論之概略』で、自然法則と社会法則を区別せず、ジェームズ・ワッ トとアダム・スミスの業績を並べて書いていることに、触れておられた。  

 そして最後に、慶應義塾の恵まれた環境で、研究できた幸せに言及された。 思うままに、自由な思考、自由な研究をさせてくれたという。 研究は、一種 のレジャー活動、無駄なものといえなくもないから、と、口を少しゆがめて、 小尾さんは言われた。 予定時間をオーバーした熱弁が、学生時代に聴いてい たのと同じ、切れの良さと、お元気さだったのは、嬉しかった。

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