「六四の会」で箱根に一泊旅行 ― 2019/06/14 07:23
6月4日、5日は、64年卒業の文地(もんち・文化地理研究会)「六四(む し)の会」の一泊旅行で箱根に行った。 学生時代に代表だった加藤隆康さん が半年も前から旅館の下見をしたりした配慮のおかげである。 旅行中、福沢 美和さんがお住まいとよく聞いていた箱根は、小涌谷の岡田美術館の辺りだと わかった。 メンバーの一人が同じマンションに部屋を持っていたからだ。
現地に集合して、泊まったのは箱根湯本のホテル はつはな。 箱根湯本とい えば、福沢諭吉と関係が深い。 そこで、私は「箱根と福沢諭吉」というプリ ントをつくって、配った。 福沢は明治3(1870)年秋に大病(発疹チフス) 後の療養で箱根に行って気に入り、頻繁に(少なくとも17回)湯本と塔之沢 の福住旅館に滞在した。 当時の福住旅館の当主十代目福住九蔵(後に正兄(ま さえ))と親しくなり、『足柄新聞』に湯本から塔之沢までの新道開鑿や永久的 架橋を提言、これは福住らの尽力で明治14(1881)年11月に完成している。 福沢はまた、アメリカに留学し慶應義塾に学んだ山口仙之助の性質を見抜いて、 実業界へ進むことを勧め、山口は箱根宮ノ下の藤屋旅館を買収して、明治11 (1878)年日本初の本格的リゾートホテル、富士屋ホテルを創業することになる。 福沢と山口の親交は長く続き、箱根を旅行するナップの夫人と子供の世 話を山口に依頼する福沢の書簡(明治22年4月29日付)が残っている。 ナ ップはユニテリアンで、同年帰国の際に、福沢は翌年開設を目指していた義塾 大学部の主任教師三名をハーバード大学卒業生の中から選任することをナップ に委任し、同大学長エリオットに親書を託した。
私がつくったプリントは、以下のものだった。 『福澤諭吉事典』「熱海・箱 根での保養」「福住正兄(九蔵)」「山口仙之助」。 地方から近代化を推進する <小人閑居日記 2003.10.19.>、箱根福住旅館と福沢<小人閑居日記 2003.10.20.>。 『福沢手帖』156号(2013年3月)黒田康敬さんの「第47 回福澤史蹟見学会「小田原、箱根、西湘に遊ぶ」」。 ブラタモリ#114 「箱根 の温泉」2018年10月6日。
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